朝の点呼のあと、食堂でオヤツでももらうかなぁなんてことを考えながら一階の廊下をフラフラと歩いていた俺は、意識の隅っこを何かに引っかかれてふと足を止めた。
「んん……?」
廊下の隅にロッカーが立ち並ぶ一角がある。掃除用具などの備品が格納されていたり、懲罰房にぶち込まれる運の悪い野郎の所持品を一時的に保管したりするためのもんだ。基本的に鍵がかけられていて囚人が自由に中身を取り出せるようなもんじゃねぇんで、普段だったら素通りするだけの用事のない場所。そこで、俺が見つけたのは。
――錆だらけの金属の箱が並んでいる隙間から見え隠れする、囚人服と薄汚れた銀色の頭髪、だった。
「こんなとこにいたのか、バクシー」
「あ、ぁ、ぅあ……」
ゆっくりと近づいて声をかけると、ロッカーの隙間に隠れるように体育座りで身を縮めていた――だが、図体があまりにもデカすぎるせいで全然隠しきれていない――男が怯えたような声を上げる。デカい図体を可能な限り縮めようとでもいうのか、後頭部に回した両手で抱えた頭を両膝の間に埋めるようなその姿は、あまりにも哀れだった。俺はできるだけ穏やかに優しく、宥めるような口調を心がけ。
「大丈夫だバクシー、俺だよ、俺」
「あ、あ……お、れぇ……?」
ようやく俺の言葉が耳に入ったのか、まだ膝の間に顔を埋めたまま、恐る恐る首を捻ってこっちを見上げてくる。長い銀色の前髪の隙間から覗く目は、どろりと濁ったような色をしていて焦点が定まっているかも怪しいところだったが。
「きら、きら……じゃぁん……」
どうやら髪の色で俺だと判断したらしい男の表情が、ふにゃっと緩んだものになる。
しばらく前にここ――マジソン刑務所に収監されてきた、この可哀想なジャンキー野郎の名前はバクシー。見ての通り薬物で頭がイカレちまって、まともに会話をすることも難しいような有様だ。
だが、こんな風になる以前のこの男は、あのGD――俺たちCR:5の仇敵でもあるGrave Diggerきっての武闘派だったらしい。二年前の抗争の際には、うちの構成員が随分とこの野郎に殺された、なんて話もあるくらいだ。
そんな男がクスリでぶっ壊れて何の抵抗もできないような状態でムショに放り込まれちまったわけだ。一体どんなことになるのかは、火を見るよりも明らかだろう。ここマジソン刑務所に収監されて以来、こいつに恨みを抱く連中からの集団リンチが毎日のように繰り広げられていた。
二年前の抗争の際、今と同じようにこのマジソンでバカンスを楽しんでいた俺自身は、バクシーに対して個人的な感情を何も持っていない。だからリンチに参加する謂れも当然のごとくないわけだが、同様に、こいつをフクロにしている連中を止める謂れもなかった。身内を殺された恨みを晴らしたいと考えている奴に向かって、そんなことしたって死んだ人間は帰ってきやしない、なんて正論を言えるはずもない。下手すりゃ矛先がこっちに向かってくるだけだ。
だけど、抵抗どころか受け身すら取れずにサンドバッグになっている野郎の姿を見かけるたび、何とも言えない気分になっちまうのも事実だった。弱い者虐めなんてムショの中じゃ珍しくも何ともない光景だが、見慣れていたってやっぱり気分のいいもんじゃない。しかも相手は自分が恨まれている理由すらも理解できていないような有様なんだから、猶のこと、だ。
ヤクザのくせして甘っちょろさの抜けない俺は、バクシーを見かけるとつい、声をかけるようになっちまった。野郎のためってよりは、割り切れない自分の心を慰めるための自己満足だ。だから特別優しくしてやった覚えはねぇんだが、いつの間にかすっかり懐かれちまったなぁという自覚はある。顔を合わせても殴りつけてこない人間の方が珍しい、という不遇な環境に置かれているせいだろうと思うと、余計に不憫に思えちまう。
薄汚れたコンクリの床に手をついてもたもたと立ち上がろうとしていたバクシーが、ふらりとよろけて尻もちをつく。見かねて手を差し伸べてやると、嬉しそうなツラした野郎が伸ばしてきた手が俺の前腕部分をがしりと掴んだ。思わぬ力強さと、想像以上の手のデカさに、俺は内心ちょっとだけ驚く。
(立ってる時の顔の位置が俺とあんま変わんねぇから意識してなかったけど、そういやこいつスゲェ猫背なんだよな……その状態で俺と同じぐらいのタッパってことは、相当デカい、よな?)
その図体のデカい男は、俺の助けを借りて立ち上がる――のかと思いきや、俺の鳩尾辺りに頭を擦りつけてくる。
「じゃぁん、じゃあん!!」
「よーし、よし、よし……」
でっかい子犬みたいに甘えてくる姿に、俺は思わず野郎の頭に手を乗せて。撫で回そう、と思ったところで異変に気づいた。自分のかいた汗で湿ったのとは明らかに様子の違う濡れ方をした銀色の頭髪に、鼻を突き刺すような異臭。
(また誰かにションベン引っかけられやがったのか……)
こいつの置かれている状況については看守も理解していて、鬱憤の溜まっている連中にはある程度までの発散を認めている節がある。とはいえ、重大な事故――骨折みたいな誤魔化しようのない重傷を負わせるとか、打ちどころが悪くてうっかり死なせちまうとか――には至らせないように目を光らせて、行き過ぎた暴力に至る直前で止めに入っているっぽかった。そのせいなのか、バクシーを痛めつけるのに単純な暴力を奮うのではなく、床に落ちたものを食わせたり、小便を引っかけたりといった尊厳を傷つけるような手段を取る連中も少なくない。
バクシーの頭に手を乗せたまま、床に座り込んでいる野郎を見下ろして、俺はしばし考えを巡らせた。確か昨日はシャワーを使える日だったはずだが、こいつの汚れ具合からすると、恐らくここに収監されてからまだ一度もシャワーを使ったことはないに違いなかった。風呂嫌いでめったにシャワーを浴びることのない俺だって、小便まみれになればさすがに洗い流すぐらいのことはする。だけど、こいつはきっとシャワーの使い方――どの時間帯にどこに行けばいいとか、そういったことだ――を知らないんだろう。こいつにそれを教えてやろうって人間も、いなかったんだろう。
こいつ自身は自分が小便まみれになってても、大して気にしちゃいないのかもしれない。その善し悪しを判断するアタマも残っちゃいないのかも、しれない。だけど、何も分かんねぇってツラで俺を見上げてニタニタと笑っているガキみたいな男を見下ろす俺の喉の奥には苦いものが込み上げてきて。
――到底、飲み下せそうには、なかった。
バクシーの頭に乗せていた手を、野郎の髪の毛を後ろに撫でつけるようにしながら動かす。気持ちよさそうに目を細める野郎の顔を見下ろしながら、俺は小声で囁いた。
「バクシー、お前、今日はこのあと予定とかねぇよな?」
「よーていー?」
一応確認の体を取ってはいるが、正直返事は最初から期待しちゃいなかった。
「ちょっと俺に付き合えよ、な?」
そう言って腕を引っ張ると、バクシーは不思議そうな顔で首を捻る。関節どうなってんだ、って訊きたくなるぐらいぐんにゃりと首をひん曲げて、その角度から蛇みたいな目で俺を見上げてきたジャンキーは。
「じゃぁん、と、いっしょに、いく」
分かってるんだか分かってねぇんだか、さっぱりと判別のつかない様子で無邪気にそう言って、その場でゆらりと立ち上がった。だが、頼りない身体はすぐによろめいて、俺の肩に凭れるようにぶつかってくる。ヒョロッとして見えるのに、案外重量級のその身体を受け止めながら、俺は鼻を突き刺すアンモニア臭に顔を顰め。
この後どう動くべきかについて、慎重に考えを巡らせた。
◇ ◇ ◇
結局、俺が頼ったのはジョシュアだった。生真面目な看守殿は最初は俺の頼みに難色を示したが、今のバクシーの姿を見せ、こいつを洗ってやりたいのだと言うと何とも言えない表情になった。
「なあ頼むよ、ジョシュア」
「じゃぁん、だっこー」
「ハイハイ、あとでしてやるから。今はこいつと話をさせてくれ、な?」
「あーとー?」
「な、分かるだろ? こいつは一人じゃシャワーなんて使えねぇんだ。そんで、このまんま放っておいたら感染症になったりするかもしれねぇ」
バクシーの背中に手を当ててジョシュアの眼前へと押しやると、端正な男前の表情が隠しようもなくはっきりと歪むのが分かった。もちろん、バクシーに対する嫌悪や軽蔑のためなどではなく、鼻の粘膜どころか眼球すらも突き刺してくるようなアンモニア臭のせいだ。
本人の口からはっきりと聞いたことがあるわけじゃねぇが、上流階級の出であることを随所から感じさせる、恐らくはいいところのお坊ちゃんなんだろうジョシュアにとって、現在のバクシーの姿はなかなかにショッキングなものであったらしい。
「確かにこれはひどいな……」
沈痛な面持ちで呟くジョシュアの表情は、バクシーへの同情で満ちていた。お坊ちゃんのくせに、俺たちみたいなチンピラや立場の弱い最底辺の連中を見下したりはしないのが、こいつのいいところだ。看守の中には、バクシーの置かれている状況を知っていながら見て見ぬふりをしている連中なんてごまんといるってのに。
「頼むよ。ちょっとの間だけでいいんだ。こいつを洗うのに、シャワー室を使わせてくれねぇか」
「…………二〇分だけだ。それ以上は認められない」
「充分! 恩に着るぜ、ジョシュア!」
シャワー室の使用自体は認めてもらえるだろうが、せいぜい五分で切り上げさせられると思っていたところだ。それが破格の二〇分という条件に、俺は驚きと歓喜の声を張り上げてジョシュアに抱き着いた。
「ちょ、ジャン! ジャンカルロ……!! 気持ちは分かったから、さっさと済ませてくれ。バレたら俺だって色々マズいんだ」
「りょーかい。よし、行くぜバクシー」
「ん、じゃぁんと、いっしょ」
差し出した俺の手を、一回り以上もでっかい手がきゅっと握り込む。それと同時に、手首に何かが刺さったような感覚が生じた。いったい何だと見下ろせば、伸びきって凶器みたいになっているバクシーの爪が視界に入る。まるで鉤爪みたいなその有様に、きちんと整えてやりたい気分になるが、生憎こちとらしがない囚人だ。刃物の持ち合わせなんてあるはずもない。
(うーん、これはまた次の課題ってやつだな)
ただ、俺自身いつまでこのムショにいるかも分からない身だ。〝次〟が確実に訪れるかどうかは神のみぞ知る、としか言いようがなかった。
「いいか、ジャン。二〇分だからな」
気の毒なジャンキー男と連れ立ってシャワー室に入る俺の背中に、ジョシュアが改めて確認するように声をかけてくる。そのままドアを閉めようとする男に、俺は。
「あれ、見張ってなくていいんけ?」
壁にいくつかのシャワーヘッドが取り付けられているだけの、プライバシーもクソもないシャワー室。ここでは看守の見張りがつくのが基本だ。当番の看守に鼻薬を嗅がせて席を外させ、リンチやレイプ、乱交なんてお遊びを楽しむ連中も当然のように存在しているが、ジョシュアはそういう取引に応じるタイプじゃない。だから当然、今回もジョシュアの監視の許にシャワーを使うことになるんだと思っていた俺に、ジョシュアは困ったような苦笑いを向けてくる。
「他の奴がここに近づいてこないよう、そっちを見張っておく必要があるんだ」
「あー、ナルホドね。苦労かけるねぇ」
「そう思うなら、さっさと済ませてくれよ」
そう言ってドアを閉めたジョシュアの後姿を数秒拝んでから、俺はバクシーに向き直る。
「ほらバクシー、さっさと服脱いじまえよ。濡らしちまうと面倒……いや、そいつも洗っちまった方がいいかもなぁ」
幸い季節は夏で、時間帯はまだ午前、今日は天気もよさそうだ。今ここで服を洗ってどっか日当たりのいい場所で干せば、夕方までにはすっかり乾いちまうだろう。その間、こいつに何を着せておくかについてはちょいと頭を悩ませなきゃならないが。
(……否、普通に服を濡らしちまったからっつって、洗濯前のシーツでも被せとけばいいか)
刑務作業があるわけでもねぇんだ、何とかなるだろう。そう思いながら、もう一度。俺はバクシーに囚人服を脱ぐように促す。
「ほら、脱げるか?」
「んんー?」
首を傾げたバクシーが自分の囚人服の袖を引っ張ってみせるが、生地が伸びるばかりで一向に脱げそうな気配がない。
「お前、服も脱げねぇのか……しょうがねぇなぁ」
苦笑しながら手伝ってやると、ようやく右腕が一本、袖から抜け出して飛び出してくる。その腕を目にした瞬間、俺は思わず息を呑んでいた。囚人服の上から眺めている分には病的な痩躯だとばかり思っていたバクシーの腕は、鋼のように引き締まっていた。皮膚の下に潜む太くしなやかな筋肉の束がありありと分かっちまうようなその腕は、俺の太腿と同じくらいの太さがある。
「お前、意外と鍛えてんだな……」
思わず零れ出た俺の呟きが聞こえているのかいないのか、よく分からないぼんやりとしたツラのまま、バクシーは緩慢な動作で残された左腕を袖から引き抜く。だが、どういうわけだかそこから先になかなか進もうとしない。まるで甲羅に引っ込んだ亀みたいな状態でモゾモゾしているバクシーを見かねて、俺はヤツの上衣に手を伸ばした。
裾を掴んでめくり上げ、頭から引き抜いてやろうと思ったが、野郎の方が背が高いせいで上手いこといかない。
「ホラ、このまま持っててやるから頭を引っ込めろ――――!?」
言いながら、バクシーの顔へと向けていた視線を下に移動させた俺は、目の前の光景に言葉を失っちまった。囚人服の下に隠されていたバクシーの胴体は、腹筋がくっきりと割れ、胸板は岩盤みたいに分厚かった。均整の取れた筋肉に覆われたその肉体だけでも充分すぎるぐらいに驚きだったが、そこには更にギョッとするような刺青が――骸骨のタトゥーが刻まれていて。その頭の位置、ぽっかりと空いた虚ろな眼窩が俺をじっとりと睨み据えていた。
こいつがGDの元幹部とやらで、戦闘員だったってことを今さらながらに思い出す。これだけの肉体を持ち合わせておきながら、殴られても蹴られてもされるがままで、小便塗れで怯えることしかできないなんて。クスリってのはやっぱり怖いモンなんだな、俺は絶対手を出すまい、と心に誓う。
そんな俺の内心なんて知ったこっちゃないんだろうバクシーは、俺の意図がようやく伝わったのか、のろのろと身を屈めて俺の前に頭を差し出してくる。その頭から上衣を引き抜いてやると、首筋に刻まれたGDの刺青が――。
(んん……? 何だコレ、GDじゃなくって、DG……?)
わざとなのか、誰かに嫌がらせでもされたのか、はたまた別の理由があるのか。分からないが、どうせこの状態のバクシーに尋ねたところでまともな回答が得られるはずもない。疑問を明後日の方向に投げ捨てた俺は、そのままバクシーのズボンとパンツも脱がせ。そうして、現れた野郎のペニスを前にまた絶句することになる。
(何だこれ……デカいとかそういう次元を超えてんだろ……)
サイズもすごいが形状も、これまでにお目にかかったことがないような異様さだ。通常時でこれなら、勃起したら一体どうなっちまうんだろうか。
(これ、女の中に入るのか?)
思わずそんなことを考えちまったが、まぁ、赤ん坊が生まれてくる場所なんだから入らねぇってことはないだろう。さすがにそれよりは小さいはずだ。
(俺、生まれたての赤ん坊とか見たことねぇけど……)
そんなことをしている間にも時間は刻々と過ぎていく。アホな考えを振り切って、俺も自分の囚人服を脱ぎ捨てた。バクシーと比べると筋肉も股間の銃も、何もかもがティーンエイジャー向けの玩具みたいでちょっとした敗北感に襲われつつ。とはいえこの場には俺とこいつしかいないんだから、気にしたところで意味なんてない。
(どうせこいつは何も分かんねぇんだろうし、な)
「時間に限りがあるんだ。さっさと水浴びして出るぞ」
そう言ってシャワーコックを捻ると、人肌よりもちょっと温いぐらいの水が勢いよく降り注いでくる。冷水じゃないだけ御の字だし今は夏だからまだいいが、冬になってもこれなんだからたまらねぇ。
「バクシー、この降ってくる水の下で俺の方に頭突き出せ。そうそう、そんな感じ」
「んんー」
目の前に差し出された銀色の頭髪を指で梳くようにしながらぬるま湯で洗い流していく。染みついた尿が粗方流せたと思えたところで、備え付けの石鹸を手に取って。
(相変わらず泡立ちの悪い安モン使ってやがるぜ)
バクシーの髪の毛に直接擦りつけるようにしながら苦労して泡立てた石鹸で、髪の毛全体を洗っていく。耳の裏辺りに指を這わせた時だった。デカい図体が擽ったそうに跳ねて、身を捩る。
「あ、こら、動くなよ。洗いづれぇだろうが」
「あぅ、う、じゃ、ぁん……」
どこか切羽詰まったような響きを帯びたバクシーの声を訝しむよりも先に、野郎が俺に抱き着いてくる。密着した互いの身体の間に挟まれた、熱くて、硬い、ゴリッとした感触。俺の脇腹を押し上げてくるような、それ。
「おい、バクシー、まさかお前……」
信じられない気持ちでバクシーの顔を見上げると、いつもどろりと濁ったような光しか宿していない、澱んだ沼底みたいな銀色の双眸。その奥に、熱っぽい光が揺らめいているのを見て、俺は、息を呑む。
(嘘だろ、オイ……)
クスリでイカレちまってるせいで男相手でも反応しちまうのか、それとも元々こいつにそういう趣味があるのかは知らねぇが、俺には野郎を相手にする趣味なんてねぇ。このまま襲いかかってこられたら抵抗できる気がしねぇ、と、野郎のぶっとい腕や胴体を眺めながら俺は内心で冷や汗をかく。
「――――ッ!!」
俺の胴体に腕を回したバクシーが、押しつけた腰をゆるりと動かした。棍棒みたいな勃起が、髪の毛から流れ落ちた石鹸のぬめりを借りて、俺の肌の上を滑っていく。思わず身を竦めた俺の耳を、熱っぽい吐息混じりの囁きが撫でていく。
「ん、ふぅ……じゃぁん、きもち、いい」
「…………そう、かよ……」
息を詰める俺の身体を抱きすくめながら、バクシーがカクカクと腰を動かす。その動きに合わせて野郎の勃起がどんどんと硬く張り詰めていくのが分かった。
「あぅ、う、ふ……ッ、ふぅ…………」
やがて、バクシーは低い呻き声を漏らしながらぶるりと身体を震わせる。俺の腹の辺りに押しつけられていたワインボトルみたいなサイズのペニスがびくびく脈打っているのが分かった。
(この野郎、俺の身体でシコッて射精しやがった……!)
だが、怒りよりも危機感の方が勝っている。下手に責め立てて逆上させたり興奮を煽ったりするのはまずい。この後こいつがどんな行動に出るのかさっぱり見当がつかなくて内心ビクついている俺の身体を抱きすくめたままのバクシーは。名残惜しそうに俺の腹にチンコを何度も擦りつけ、尿道の中に残った残滓を押し出していた。
しばらく様子を見ても、バクシーがそれ以上の行動に出る気配はない。それが分かってようやく、俺は全身の緊張を解いた。肺の奥底から大きなため息が出る。
「バクシー、ちょっと腕の力、緩めてくれよ。これじゃあ洗えねぇ」
「じゃぁんとはなれるの、やだ」
「このままだと腕が動かせねぇんだよ。くっついててかまわねぇから、な?」
渋々といった空気を漂わせながらバクシーが腕の力を緩める。両腕が自由に動かせるようになった俺は、野郎の髪の毛についた石鹸を洗い流してやった。石鹸の滓を残さないように念入りに流し、きしきしとした手応えのする銀色の髪を指で梳いてやったあと。
「背中は流してやるけど、身体は自分で洗えよ」
言いながら、バクシーの手に石鹸を乗せてやる。本当は身体も洗ってやろうかと思っていた。だが、こんな反応を見せられちゃ、あんまり気軽にこいつの身体に触るのも躊躇われるってもんだろう。こんだけ散々水を浴びてれば大体の汚れは流れてるだろうし、多少適当になっても構わないはずだ。
掌に乗せられた石鹸を眺めたまま動こうとしないバクシーの手に自分の手を重ねて、一緒に石鹸を泡立ててやる。お手本を見せられて理解したのか、それとも単に俺の行動をなぞってるだけなのかは分からないが、バクシーは目を輝かせて泡の増産に勤しみ始めた。
野郎が石鹸で遊んでいる間に、俺はまず野郎にひっかけられたザーメンを洗い流していく。随分と久々に出したんだろう、薄っすら黄色がかって見える粘っこい精液は、量もやたらと多くてうんざりした気分にさせられた。だけど、ぬめるその体液を掌で撫で擦った瞬間、ゾワッとするような感覚が下腹部に蟠る。そういえば俺も随分とご無沙汰だったっけ、なんてことを考えて。
(別にこの野郎に興奮したとか、そういうんじゃねぇから……!!)
頭の中で誰にともなく言い訳しながら、さっきバクシーが脱ぎ捨てた囚人服の洗濯に取りかかる。石鹸を使って念入りに洗ってるような暇はねぇだろうと判断し。まずは表面についてる泥や汚物をひと通り洗い流してから、タイル張りの床に置いて足で踏みつけて揉み洗いをしてみた。桶だの盥だのといった気の利いた道具があるはずもないここでは、これ以上のことはできやしない。
しばらくそうしてから、囚人服を拾い上げて臭いを嗅いでみる。あの饐えたような異臭はすっかり取れていた。染みついた汚れも完全に落ちることはないが、それでも大分薄くはなっている。あとは水気を絞って、日当たりのいい場所で乾かすだけだ。
とりあえず軽く絞った囚人服をその辺に適当に引っかけて、俺はバクシーを振り返る。
「どうだバクシー、洗えたか?」
「ん!」
得意気な声を上げたバクシーが、泡だらけの己の肉体を見せつけるように誇示してくる。肌理の粗い泡の合間から覗く筋肉の溝。さっきよりは落ち着いた状態になったようだが、それでもギョッとしちまうほどにデカいペニス。そんなものに一瞬目を奪われかけた俺は、慌てて首を左右に動かし、妙な思考を振り払う。
「じゃあ、あとは背中を流して、終わりだな」
バクシーから渡された石鹸を泡立て、壁に向かって立たせた野郎の背中を掌で撫でさするように洗っていく。驚くほど面積の広い、でっかい背中だ。触れていると、その下に束になった筋肉がみっしりと詰まっているのが分かる。だが、その背中にはところどころに殴られたり蹴られたりしてできたんだろう痣が散らばっていた。とんだ宝の持ち腐れだなぁと思いながら、痛くないようにできる限り優しく洗ってやる。
「よし、この泡を洗い流したら終わりだ」
尻の辺りを叩いて促すと、バクシーがのろのろとこちらに向き直る。顎の先から水滴を滴らせながら、上目遣いに俺の顔を見たジャンキー野郎は、珍しくはっきりと焦点の合ったような目で俺を見て。いつものニタニタとしたような笑みではなく、やけに子供じみた無邪気さすら感じさせる笑顔で。
「ありがとぉ、じゃぁん」
「……っ、あぁ……」
あんまりにも素直に礼を言われて、何だか後ろめたい気持ちになっちまった。まるで俺がいい人間だとでも思ってるみたいな、そういう態度を取られるのはどうにも居心地が悪い。本当にいい奴なら、こいつが他の連中にリンチされている現場を素通りしたりはしねぇだろう。他の奴の恨みを買わない程度にこいつの面倒を看てやる俺は、とんだ偽善者のコウモリ野郎だ。他の誰よりも俺自身が、そのことを自覚している。
「じゃぁん……」
濡れそぼった髪の毛が肩口に押し当てられる。甘えたようにすり寄ってくるその頭に、反射的に手を回しちまった俺は。瞼を伏せ、歯を食い縛りながら、掌の下の濡れた髪の毛の束を――ゆっくりと、撫でた。