窓の外に視線をやると、昼過ぎに一度止んだはずの雪がいつの間にかまた降り出していた。しんしんと降り積もる白い結晶を、時折り吹く風が巻き上げる。倉庫街の灯りが景色に淡く滲むように揺れ、遠くでは汽笛が鳴っていた。
バクシーはいつもの定位置――ソファの座面に横向きに腰かけ、背もたれに左腕を置いて肘掛けに背中を預けた、半分寝そべってるみたいなだらしのない格好で、温いコーラの瓶を傾けている。
キッチンでコテキーノの仕上げに取りかかりつつ、俺はその姿を遠目に眺めていた。持て余し気味の長い脚がソファからはみ出している。いつものことながら、あの状態で居心地は悪くないんだろうか、なんて思いながら。
相変わらず俺たちは一緒に暮らしていた。前のボロアパートから今の部屋に引っ越した時にも、バクシーは当たり前って顔をしてついてきた。俺も、今さら文句を言う気にはなれなかった。当たり前のように一緒にいる関係。視線を交わしただけで通じ合う、心地の良い距離感。なのに時々、それがひどく物足りないように感じる瞬間がある。
「…………っと、そろそろ良さそうだな」
煮込んでいたレンズ豆の味見をし、ちょっとだけ胡椒を足したそれを皿に敷き詰める。その上に厚めにスライスしたコテキーノを載せ、スプーンで掬った茹で汁を少しばかり回しかけて。
「バクシー、できたぞ」
「うぇーい、やったぁ。ずーっといい匂いがして腹が鳴りっ放しだったじぇ」
「ったく……ちっとは手伝えってんだ」
皿を持ってソファに近づくと、身を起こしたバクシーが長い腕をにゅう、と伸ばしてきた。俺より一回り以上も大きな手が、手の中の皿を掻っ攫っていく。一瞬重なり合った手の温かさに、胸がドキリと高鳴った。
その手の熱を、もっと、ちゃんと知りたい。そう思っている自分に、俺は気づいていた。
ソファに並んで座り、フォークに刺したコテキーノにレンズ豆を載せて口に運ぶ。我ながら上出来だった。バクシーからのコメントはない。だけど、コテキーノを丁寧に咀嚼するでかい口の端が満足そうに上がっているのを、俺は見逃さなかった。
空になった皿をキッチンに片付けてソファへと戻ると、バクシーは背もたれに頭を預けるようにしてまどろんでいた。
(食欲が満たされたら睡眠欲って……動物かよ)
そんなことを考えながらも、口許が緩むのを止められない。この警戒心の強い野生の獣みたいな男が、俺の前では無防備な寝姿を晒す、その事実がどうしようもなく嬉しかった。
ベッドから持ってきた毛布を眠るバクシーの上にそっとかけ、その中に俺も身体を滑り込ませる。静かな部屋の中、ラジエーターの低い唸り声とバクシーの微かな寝息だけが響いていた。静かで、穏やかで、何にも代えがたいひと時。
ローテーブルの上にあったコーラの瓶を掴んでひと口飲む。温い甘さが口の中の脂を洗い流していった。いつの間にか俺の飲み物はビールでもワインでもなく、こいつに――常温のコーラに、なっちまっていた。
日常生活のあらゆる面にバクシーの影が落ち、ふとしたタイミングで、この電柱猫に俺の日常生活が侵蝕されていることを気づかされる。だけどそれは、決して嫌な感覚じゃなかった。
ずっと、このままでいられたらいい、と思う。
だけど同時に、もっと傍に行きたいと願う自分がいる。
毛布の中、俺はそっとバクシーに身を寄せた。筋肉の塊みたいな身体が発する熱い体温が、触れていなくてもじわり、伝わってくる。もう少しだけ近づいてもいいだろうか。そう、思った時だった。
「――わッ、ぁ!?」
いきなり動かされた長い腕が俺の胴体に蛇みたいにぐるりと巻き付き、抵抗する暇もなく抱き寄せられる。驚いた俺の声に被さるように、教会の鐘の音が遠くから微かに聞こえてきた。年が、明けたのだ。
通りを走る車のタイヤが雪を踏みしめる、微かな音が外から聞こえてくる。バクシーの肩越しに見える窓からは、白く輝く雪景色と、その合間にぽつぽつと瞬く仄かな灯りが覗いている。
後頭部にバクシーの手が回されて、胸に頭を抱え込まれた。触れ合った箇所から伝わってくる穏やかな鼓動。俺と同じリズムで吐き出される呼吸。全ての音が遠のいてバクシーに埋め尽くされちまう。今この瞬間、世界には俺たち二人だけなんじゃないかと思ってしまうような、穏やかな時間が過ぎていく。
「――さっきの、旨かったから来年も頼むわ」
バクシーが耳許で低く囁いた。
(来年の年越しも俺と一緒にいる、って、そう言ってくれるんだな)
単なる思いつきの口約束だ。ちゃんとした約束ってわけじゃない。こいつの気紛れであっさり反故にされたって、文句なんて言えやしない。それでも。
「一応、覚えといてやるよ」
そう言って。俺は、温かい腕の中でそっと目を閉じた。瞼の裏に映るのは、どこまでも降り積もっていく白い雪。まるで俺の気持ちのようだった。