視界の中で次第に小さくなっていく、マックスのトラック。デイバンへ偵察に行くテシカガとヴァルターを乗せたその後姿が見えなくなるまで見送った後、ジャンとバクシーは踵を返してカサブランカの中へと引き返す。キッチンにいるリリーにひと声かけてから自分の部屋へと向かうジャンは、背後から自分を追いかけてくるのがいつもの重たい足音だけではないことに気づいた。
「ずいぶんご機嫌じゃねぇか、バクシー?」
閉じたドアの鍵をかけているバクシーの背中に、笑いを含んだジャンの声が投げかけられる。その言葉に鼻唄を中断したバクシーはジャンを振り返り、ソファに座って自分を見上げている恋人に向けて何かをやり遂げたとでもいうような笑みを返した。その笑顔が自分の想定していた類のものではなかったことに、ジャンは意外な思いを抱いて、おや、という表情になる。
(これで今夜は気兼ねなくやりまくれる、とか、そういうアホなことを言い出すんだとばかり思ってたが――)
現在、ボス・イーサンはリッカルドを護衛にシカゴへ向かい、ランドルフォはフィラデルフィアへと足を延ばしている。そして先ほど残りの三名がデイバンに旅立ったとなれば、今夜ここに残っているGDの面子はジャンとバクシーだけになる。
平素は人の耳を――特に隣の部屋で寝起きしているマックスの存在を気にしてカサブランカではなかなかセックスに応じてくれないジャンと、今日は好きなだけやれる、と。どうせバクシーのことだ、そんなことを考えて浮かれているのだろうと。そんな風に思っていたジャンは、どうやらそれとは少しばかり違うことを考えていそうなバクシーの様子に戸惑いと――本人は決して認めはしないだろうが――少しの落胆を覚える。その落胆を振り払うように軽く頭を振ってから、ジャンはバクシーに向けて右腕を伸ばした。
その腕に吸い寄せられるように近寄ってきたバクシーが、ジャンの身体を跨ぐようにソファに片膝を乗せて屈み込んでくる。頭上から近づいてくる頬にそっと手を這わせると、掌に頬ずりするように顔をすり寄せてくるのに満足して、ジャンは再び口を開いた。
「で、お前の上機嫌の理由は何だ?」
「ヴァルターにお使い、頼んだんだワ」
「ナニ、お前、何か欲しいものでもあったのけ?」
確かにこのロックウェルで手に入れられるものなど限られているが、ジャンの知る限りバクシーの欲しがるものと言えば武器や弾薬の類と非常用の食糧、後は野良猫のおやつぐらいのものだった。そんな男がわざわざ使いを出してまで手に入れようとするものに興味の湧いたジャンだったが、バクシーはひらひらと手を動かしてジャンの勘違いを訂正した。
「その逆。お届け物を、ちっとな。CR:5のミナ=サンに」
「CR:5に……って、まさかお前ダイナマイトとか言わねぇだろうな?」
「ハハ、そりゃァいいや。ジャンが許してくれるんなら、いつでも特大のプレゼントを届けてやるとこだけどよぉ、今はまだそういうでっけぇこと仕掛けんのはダメ、なんだろ?」
「ったりめーだろうが」
いくら敵対している組織が相手であっても、そのやり口は頂けない。もちろん、ジャンはバクシーがそんなことをやらかすような馬鹿だとは思っていないし、ヴァルターがそれを引き受けるはずがないことも充分に理解してはいる。だからジャンのそれは八割方は確認の体を取った戯れの軽口に過ぎないものなのだが、残りの二割には割と本気の心配が含まれていた。
他人からは理解しがたいような動物並みの嗅覚や判断力によって、それが必要なことだと断じた際には、理屈なんてものをすっ飛ばして大胆な行動に出ることもあるのがバクシーという男だ。そしてまた、その言い分に理があると判断すれば、それがどんなに突拍子もないことに思えても協力しかねないのがヴァルターという青年だったりもするわけで。
(さすがにCR:5の本拠地で俺に無断でやらかすとは思ってねぇが……一応、確認はしとかねぇと、な)
バクシーの頬に手を宛がったまま、ピアスの刺さっている耳たぶを指先で弄ぶようにくすぐってやりながら。ジャンの指の動きに嬉しげに目を細めるバクシーに、優しく言い含める口調で問いかける。
「で、ヴァルターに何届けてもらうんだって?」
「写真だよ、写真。こないだ撮った俺とジャンの――」
「――ハァーーーーー!?」
「いっでぇぇぇえ!?」
バクシーの言葉を理解した直後、ジャンは指先に触れていたバクシーの耳たぶをピアスごと捻り潰すかのように指で捩じり上げてから、千切らんばかりの勢いで引っ張っていた。
「バババババババカお前、こないだ撮った俺とお前の写真ってお前バカ何考えてんだこの」
つい先日、二人が排水処理のために訪れた廃屋の中に一軒、変わった物件があった。家具の類はほとんど持ち去られていたが、壁一面に大きな鏡が据え付けられた部屋があったのだ。元の住人がバレエでも嗜んでいたのだろうかと考えながらそれを眺めていたジャンは、背後の男が欲情した気配を――匂いを嗅ぎ取って、この後自分がどんな目に合わされるのかを悟った。形ばかりの抵抗はしてみせたものの、流されるがままにバクシーの太腿に後ろ向きに跨ってからはあっという間だった。
自分たちの全身を余すことなく映し出す壁面に向けて大股を開いて下から突き上げられる自分の姿を見ながら盛大に喘いだ挙句、最終的には鏡面に向けて大量の精液をぶち撒け。その合間合間にバクシーの持っていたカメラで撮影されて、鏡越しとカメラ越しの視線に余計に煽られて興奮したのは未だに記憶に新しい。
現像した写真を改めて見せられた時には、言葉を失うような痴態に眩暈を覚えて破り捨てたくなったが。それを手にした恋人のあまりにも幸せそうな顔に。「ジャンがいない時にはこれをシコリオカズにするんだァ」という嬉しそうな声に。絶対に誰の目にも触れさせないようにしろ、見られたらそいつが誰でも殺せ、と言うことしかできなかったジャンだったが。
(――アレを、CR:5に送った? つまりあいつら四人やボス・アレッサンドロに見られるってことか? 幹部宛の届け物なんてどうせ検閲されるんだろうし、兵隊共にだって見られるよな? しかもヴァルターに届けさせて? ヴァルターは中身知ってんのか?)
「絶対に! 誰にも! 見せねぇって! 約束しただろうが――ッ!!」
約束を破ったバクシーは当然殺す。できれば時間をかけて己の所業をたっぷりと後悔させてから息の根を止めてやりたいところだが、残念ながらそこまでの余裕は残されていない。バクシーを殺った後は速やかにヴァルターを追いかけて写真を取り返し、万が一にも中身を知っているようであれば可哀想だが一緒に車に乗っている連中共々死んでもらうしかない。
などと物騒な考えを巡らせるジャンの目からは光が失われ、虚ろな空洞と化している。それを見たバクシーはようやく恋人の勘違いに気づいて叫んだ。
「違うってェ、その写真じゃなくて、こないだの出入りン時の記念写真の方だって、ヴァ!」
「記念写真……?」
「ハメ撮り写真じゃなくて、シカゴのイボガエル殲滅記念にヴァルターに撮らせたやつのことだじぇ」
「ヴァルターに……あぁ……」
バクシーの言葉を理解したジャンの脳に血液が巡り、両眼には光が戻ってくる。その様子に――そして引き千切られかけていた自分の耳が解放されたことに、バクシーは安堵のため息をついた。それとタイミングをほぼ同じくして、ジャンも気の抜けたような長い長い吐息を漏らす。
バクシーの言う〝記念写真〟とは、先日ロックウェルに乗り込んできたシカゴのヤクザたちを蹴散らした後に撮影されたものだった。襲撃してきた人数はおよそ三十人。折悪しくテシカガとリッカルドという武闘派二人がロックウェルを離れていたため、撃退するのにはそれなりの苦戦を強いられた。
非戦闘員のヴァルターとランドルフォには周辺住民の避難誘導をさせ、リリーの援護射撃を受けながらジャンとバクシーはカサブランカの周辺で大立ち回りを演じた。最後の一人が斃れて起き上がらなくなったのを見届けた後、勝利の高揚感に突き動かされるがままにジャンはバクシーに全体重をかけて勢いよく飛びつき。それを難なく受け止めたバクシーは、ジャンの腰に巻き付けるように両腕を回して抱きかかえると、タイミングよくそこに戻ってきたヴァルターに身振り手振りで促して、彼の持っていたカメラで様子を撮影させた。
襲撃の直前までヴァルターは、ランドルフォと共に街の中の重要施設で修繕の必要な箇所を記録して回っていた。その記録用のカメラで自分たちを撮れ、というバクシーの意図をすぐに汲んで行動に移せる辺りはさすがと評するべきであろう。「ラの字だったらこうはいかねぇ」とはバクシーの評だった。
カメラを見つめながら満面の笑みで抱き合う男二人。そう聞くと爽やかそうにも聞こえるが、一方は利き手に愛銃を構えているし、戦闘直後とあって浮かべる笑みは双方共に獰猛な気配を孕んでおり。写真には映り込んでいないが、足元には返り討ちにされたシカゴの木っ端ヤクザたちの死骸がごろごろと転がっている。そんな、色気も何もない――どちらかといえば物騒に過ぎるであろう、一葉の写真。
「あんなもん、連中に渡してどうすんだ?」
「ンッフフー。俺とジャンの硬ーい絆ってやつを見せつけてやろうと思ってよ」
「……アホか。つーか、あんなんで見せつけることになるか?」
「もっちろん。あいつら、噛み締めたハンカチを食いちぎるぐらい悔しがるじぇ」
「そうかぁ? まぁ、オメーの好きにすりゃいいけどよ」
問題のブツがハメ撮り写真ではなかったことで、ジャンの興味はあっという間に失われ。写真に纏わる二人の会話はそこで終わった。
◇ ◇ ◇
デイバンのコーサ・ノストラ、CR:5。昨夏、幹部四人が刑務所に送られ、ボスが行方不明となったそのマフィア組織は、弱体化したその隙を狙うハイエナたちによって手痛いダメージを被った。裏切り者の手引きによってシカゴやニューヨークから出張ってきたマフィアにはシマを荒らされ、それまで手厚く面倒を見てきたカタギ衆からの信頼を損なわれ。更に、そういった連中を相手取って至る所で大暴れを繰り広げてくれたギャング団のせいで、一時のデイバンはそこら中にヤクザの遺体が積み上がる地獄と化した。
現在CR:5のボスと幹部たちは臨時本部施設として借り切ったデイバンホテルの最上階を拠点としながらよそ者に引っ掻き回された街の建て直しに奮闘している。
そのホテルのラウンジホール、野球ができそうだと冗談にされるほどに広く、品良く豪奢な調度品を備えた煌びやかな部屋。幹部用の会議室として使われているその部屋に、幹部四人が集っていた。彼らの囲むテーブルの上には封筒が一つ置かれている。表には『デイバンホテル CR:5幹部各位』と宛名が記されているのみで、裏は白紙。送り主の情報は消印がデイバン市内のものであるということ以外何一つ分からない。
そんないかにも怪しい郵便物が幹部の手に直接渡るはずはなく。事前にその郵便物の安全性を確かめた――危険物を仕込むには薄すぎるし軽すぎるため、その可能性は低いと分かってはいたが、それでも万に一つということはある――兵隊は、何とも言えない表情でその中身についての報告を上司に上げた。報告を受けた上司――ザネリもまた、果たしてこれは隊長たちの目に入れるべきものなのか、見なかったことにして処分すべきものなのか、大いに悩んだ挙句。つい先程、幹部四人が顔を揃えたこの部屋に、名状しがたい顔つきでこの封筒を運んできた後は、多忙を理由にそそくさと立ち去った。
部下の不審な様子に訝しさを覚えながら既に封を切られているその中身を取り出したベルナルドは、そこに映し出された見知った青年の姿に一瞬思考を停止させた。かつては自分たちの仲間であり、将来的にはこの組織のボスとなるはずだった男。その男、ジャンカルロが彼の相棒を気取っているギャングの男と親し気に抱擁を交わし、カメラを構えた何者かに屈託のない笑顔を向けている。そんなワンシーンを切り出した一葉の写真。
共に映り込んでいるのも、そして恐らくは撮影したのもGDの構成員であることを思えば決して愉快な気分になれるはずもない。だが、行方不明になったと思われていたジャンがGDの一員に――それも幹部になっていたことは既に彼らの中で周知の事実であり、今更それを改めて突きつけられたところで目新しい驚きが生じるわけでもない。
「一体どういうつもりでこんなものを――」
そう言いながら、何の気なしにベルナルドが写真を裏返した次の瞬間。ラグジュアリーな空間には実に似つかわしくない叫びが部屋中に響き渡った。
「なんっっっっじゃこりゃあああぁぁぁあ!!???」
「これは――落ち着くんだ、イヴァン。少なくともジャンが書いたものではない。字が違う」
「……可能性として考えられるのは、写真に写っているもう一人が書いたもの……ということになるな」
「メルダ! GDのクソキチガイ野郎、どういうつもりだ?」
四者四様に表現方法は異なれども、全員の内心に湧き上がった感情が怒りであることは、そのこめかみに浮いた血管が物語っている。写真の裏には子供が殴り書きしたような、勢いのある大きな文字で、二行の文章が記されていた。
『私たち、結婚しましたァ
負け犬どもザマーミロ!』