イヴァンが犬になっちゃった!
その日の朝、ジャンを起こしたのは一緒のベッドに寝ていたはずの同居人ではなく、一匹の犬だった。
「おわ、なんだ? 痛ぇ!?」
布団からはみ出していた手にがぶりと噛みつかれたジャンは驚きの声を上げて飛び起きたあと、ベッドの上に鎮座している犬の姿を発見し、さらにもう一度驚きの声を上げた。
「犬? えーと、なんで?」
自分に覚えがない以上は同居人の仕業に違いないだろうと判断したジャンは、相手を問い質すべく姿を探すものの、そう広くもない部屋の中に彼の姿は見当たらない。シャワールームの扉が開け放たれたままであることから、シャワーを浴びているという線も消えた。
「あれ? イヴァン、いねぇの?」
「――ウォン!」
寝起きで髪の毛が乱れたままの頭をもそもそとかきまわしてジャンがぼそりとつぶやくと、ベッドの上にいた見知らぬ犬が鋭い鳴き声を上げた。
「や、おまえに返事されてもナァ……いくらラッキードッグなんて渾名がついてるったって、さすがに犬の言葉まではわかんねーから」
悪いね、などと言いながらジャンが頭を撫でてやると、犬は喉の奥を低く鳴らして応じる。その不満そうな響きが不機嫌そうにも見える表情と相まって、誰かを思い出させる、とジャンは小さく笑った。
「おめー、イヴァンみてぇだな」
ジャンのその言葉に犬は一瞬ハッとしたような顔で彼を見上げたが、ジャンはそれには気づかないまま言葉を続けていた。
「その仏頂面とか、誰彼かまわず噛みつきそうな感じが超そっくり、ハハハー」
「ウゥゥ!」
「いってーーー!!!」
イヴァンの顔を思い出して笑っていたジャンは、再び手に噛みつかれてしまい、情けない悲鳴を上げた。
「ったく……なんだっつーの、おまえは」
噛まれたとは言っても血が出るほどの強さではなかったことで、ある程度のしつけはされているのかもしれないと思いながら、ジャンは犬に文句を訴える。予定していた起床時間よりはまだ早かったが、二度寝する気も失せてしまったためにベッドから下りて衣服を身に着けようとしたところで、ジャンはようやく異変に気づいた。
「イヴァンの、上着と……靴――?」
カウチの背もたれに投げ出されたままのジャケットと、ベッドの脇に置き去りにされた靴は、どちらもイヴァンが日常的に愛用している物だ。フォーマルな装いをしなくてはならない時などを除けば、彼がそれらを身に着けていないことの方が珍しい。それが今ここにあるということが何を意味しているのか、と考えはじめたジャンに、犬は何かを期待するような視線を向けている。
「ロザーリアお嬢に呼び出されて出かけた、とか?」
「――…………」
それならば正装して出かけた可能性もありえる、とつぶやくジャンを、駄目だこいつは、とでも言いたそうな表情で見つめると、犬はカウチに飛び乗ってイヴァンのジャケットのポケットの中身を漁りはじめた。
「あ、コラ、勝手に――」
止めさせようとしたジャンは、犬がポケットから何かを取り出そうとしていることに気づいた。
「それ、イヴァンの財布と――この家の鍵じゃねーか!」
「ウォン!」
「これがあるってことはつまり、イヴァンはこの家から出てないはずなのに、奴はここにいない。で、代わりにおまえがいる、と」
そこまで言うと、ジャンは言葉の続きを待つように、じっと自分を見つめている犬に視線をやった。
「まさか――おまえがイヴァン、とか?」
「ウォウォウォン!!」
感激したように尻尾を振り回して飛びかかってくる犬の目に、うっすらと涙の膜が張っているのを見つめながら、ジャンは呆然とつぶやいた。
「――マジ、か……」
◇ ◇ ◇
イヴァンが何故犬になってしまったのか、彼が人間の言葉を話せない以上は満足のゆく解答は得られないだろう、と判断したジャンは、とりあえず前向きに考えた結果として朝食を食べることにした。
「おまえ、ドッグフードの方が良かったりする?」
ジャンが冗談交じりにそう問いかけると、ふざけるな、と言いたげな鳴き声が返される。犬の姿になったからといって嗜好が変わるとは考えにくいし、どちらにしてもこの家には犬用のフードなどないのだから問いかけるだけ無駄なのだが、そういったおふざけができる程度にはまだ自分は冷静でいられるようだ、と判断してジャンは落ち着きを取り戻す。
「フランクフルトとバンズと――お、レリッシュがまだ余ってんな。ホットドッグでいいか」
鼻歌を歌いながら手早く調理を済ませたジャンは、できあがったホットドッグを皿に乗せて、犬の鼻先に置いてやる。
「共食い。なんつって」
鼻を近づけて匂いを嗅ぐ姿にそんな冗談がジャンの口から飛び出したが、犬はつまらなさそうに鼻を鳴らすとそのままホットドッグにかぶりついた。ジャンもそれを見習って、床に直接座りこむと自分用のホットドッグを口に入れる。
「しっかし、どうすっかね。みんなになんて説明すりゃいいんだ? イヴァンが犬になっちゃいましたー、とか言ったって誰も信じねぇよなー、きっと」
しかし、隠したままでいるわけにはいかないことも自明の理である、とジャンは難しい顔になる。考えに気を取られておろそかになった手元から、ケチャップの固まりが胸に落ちた。
「お、おわっ!?」
開いていたシャツの胸元から滑り込んで直接素肌に与えられた攻撃にジャンは驚きの声を上げ、慌ててシャツのボタンを外して前を広げた。
「うお、シャツには全然ついてねぇ。ラッキー」
身体についただけなら拭けば済む、と床に座ったままティッシュを探すジャンの膝の上に、突然犬が飛び乗ってくる。
「おい、邪魔すんな――って」
犬はジャンの胸元についたケチャップをベロベロと舐め回し、あっという間に綺麗にしてしまう。その代わりにジャンの胸元は犬の涎まみれになってしまったが、どうせあとでシャワーを浴びるつもりだったのだからいいだろう、と納得しかけたジャンを衝撃が襲った。
「うぉ!?」
もう舐めるものは何もないはずだというのに、犬はまだ熱心に何かを――ジャンの乳首を舐め回していた。ケチャップを舐め取った時よりねっとりとしたその舐め方に、妙な気分になってしまいそうな気がしてジャンは慌てて犬の動きを押し留めようとする。
ホモはもう諦めたけど、獣姦はさすがにちょっと……
「イヴァン、イヴァン君? ストップ、ストーーーーップ!」
身体を舐め回す犬の口に手を当てて向こうへと押しやると、今度は肉汁とケチャップにまみれた指に舌が這わされる。イヴァンの物とは異なる、肉の薄い幅広の舌に指の股を舐められた瞬間、下腹部の奥の方で痛みに似た熱が生じたのがわかって、ジャンは泣きたいような気分になった。
チクショウ、犬相手に興奮しちまうとか、ヤベェだろ
当の犬はジャンの葛藤など一向に気に留める様子もなく、ジャンの力が抜けた隙を見計らって、今度は口の周りを舐め回す。その舌がジャンの唇に触れたとたん、犬はイヴァンの姿に戻っていた。犬とは桁違いの重量にのしかかられて、ジャンは後ろ向きに床の上に倒れてしまう。
「イ……イヴァン!?」
イヴァンが犬になったという点についてもまだ半信半疑なところのあったジャンにとって、更にその犬が目の前でイヴァンの姿に変化したという事態は完全に理解力の許容範囲を超えてしまっていた。
「な、何が起こったんだ? つーかおまえ、なんで犬になって――んッ、むぐ」
矢継ぎ早に問いかけようとするジャンの唇は、イヴァンのそれで塞がれてしまう。イヴァンはジャンの口の中を舐め回しながら、ベルトに手をかけて金具を外すと一気に引き抜いた。そこでようやく、ジャンはイヴァンが何をしようとしているのかに気づいて、抗議の声を上げる。
「バッ、おま、何考えて――」
「いいから、やらせろよ! あんなエロい顔しやがって……クソ、たまんねぇ――!!」
「待て、話が先だろうが!」
「こっちはずっとお前に煽られっぱなしで、我慢なんてできっかよ!」
――ああ、「待て」ができないのは犬の姿でも人間の姿でも変わらないわけね……
諦めたジャンは、犬の姿のイヴァンとするよりは遥かにましだと開き直り、ため息をひとつ零して脚を開く。馴らしもそこそこに、勃起したペニスをねじ込もうとするイヴァンを睨み上げながら心の中で罵倒を繰り返していたジャンが、やがて行為に没頭して押し殺した喘ぎ声を上げはじめるのにそう時間はかからなかった。