暗闇の中、甲高い、怪鳥の鳴き声のような音がどこかから聞こえてきていた。それが人間の男の、狂ったような高笑いの声で。他でもない己の口から発されているものだ、と。バクシーが気づいた瞬間、辺りが急に明るくなった。
哄笑するバクシーの足元には一人の男が倒れていた。撃ったのはバクシー自身だ。マジソン刑務所の食堂でゴンザレスに制裁を加えた後、脱獄しようと移動している時にたまたま見かけた囚人服の男を何の気なしに撃ったのだ。銃弾は過たず男の脳天を撃ち抜いて、頭の中身を床にぶち撒けさせた。
「なんだあ、こいつは」
感情の色の乗らない目で視線を落とせば、床に広がるどす黒い血。そこに散った金色の頭髪。薄暗がりの中でも見て取れるその輝きが、バクシーの脳を引っ掻いて不快な音を立てた。
「……ジャ、ン――?」
◇ ◇ ◇
「ぁぁあああああああああああああああああああ!!」
己の叫び声で目を覚ましたバクシーは、そのままバネ仕掛けの玩具のように上半身を跳ねさせて起き上がった。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
全身がびっしょりと冷たい汗に濡れていた。早鐘のように打ち鳴らされる心臓の音が、耳の奥にガンガンと響いている。見下ろした両の腕は、ぶるぶると震えていた。
「ハァ、ハァ……」
ただの夢だと分かってはいた。だが、起こりえた現実であったことを、バクシーは知っている。あの時――脱獄の夜にマジソンでジャンカルロを見かけた時、バクシーは殺すつもりで撃ったのだ。頭のど真ん中を狙って放った銃弾は、バクシーの射撃の腕を考えれば外れる可能性など万に一つもないはずだった。それが、部下お手製の鉄パイプショットガンの銃身が歪んでいたことで――或いは、ジャンの強運が発揮されたおかげで――ズレて直撃を免れただけだ。
その偶然がなければあの時、バクシーはジャンを殺していたのだ。そしてゴンザレスから回収した帳簿を身に着けたまま脱獄し――恐らく、シカゴのマフィア達の襲撃を受けて死んだことだろう。自分が何を殺してしまったのかには、気づかないまま。
「ハ……んだこりゃ……震えが止まらねぇ……」
怖いのは、ジャンを殺してしまっていたかもしれないことなのか。こんなにも誰かを愛おしいと想う気持ちを知らぬままに生を終えていたかもしれないことなのか。どれだけ考えても底の見えない恐怖が湧き上がってきて、バクシーの腕を――身体を、震わせている。
「――ッ!?」
震えの止まらない腕に、不意に何かが触れた。汗で冷えた身体にはやけに温かく感じられるその何かは、隣に眠る恋人の掌、だった。反射的にそちらに振り返ったバクシーの視線の先で、ジャンは眠たげに目を瞬かせながら恋人の顔を見上げた。
「どうした、眠れねぇのかよ、バクシー」
「あ……ジャ、ン……」
「何だよ、怖い夢でも見たのけ?」
眠る前にさんざん啼かせたせいか、かすれ気味の囁くような声がバクシーの鼓膜にじんわりと沁み通っていく。
「あ、ウン」
ジャンの優しさがそのまま形になったような柔らかな声色に、バクシーは虚勢や誤魔化しの一切を忘れて、素直に頷いた。
「しょーがねぇなぁ」
眠気を引きずった気だるげな声で苦笑雑じりにそう言うと、ジャンはバクシーに向けてゆっくりと両腕を広げてみせた。
「ほら、来いよ」
言われるがままに身を寄せると、逞しい首にジャンの両の腕がギュッと巻きついた。己のものと比較してしまうと些か厚みの足りない胸に、バクシーの頭が押しつけられて抱え込まれる。汗で濡れてへたった髪の毛に、柔らかくキスを落とされたのが分かった。
「悪い夢は俺が追い払ってやるから、安心して寝ろよ」
そう言ったかと思うと、次の瞬間にはもう寝息が聞こえてくる。相変わらずの寝つきの良さに、バクシーは感心しつつも気が抜けて――それから、笑いが込み上げてきた。眠りに落ちて力の抜けきった身体に腕を回し、ジャンを起こさない程度の全力で抱き締める。規則正しい寝息と心音、触れ合った箇所から伝わってくる体温。確かな生の気配に、涙が出そうなほどに安堵した。
「やっぱりお前は最高だぜ――ジャン」
恋人の優しい腕の中、温かな胸に頬を寄せて目を閉じる。もう、悪夢は見ない、気がした。