工場通りの廃屋街。鉱山が現役だった頃にはそこから産出される銅の精錬や加工に従事する男たちとその家族とで賑わっていたであろうその場所。鉱山の閉鎖と大恐慌を経た今となっては住み続けている人間など皆無に等しい、ゴーストタウンと化したその場所の一角に佇む一軒の廃屋に、ジャンは足を踏み入れた。入ってきたドアがゆっくりと閉まる音が背後で響く。
「よぅ、ジャン。待ってたぜぇ」
ジャンを出迎えたのは、機嫌の良さそうな男の声だった。聞き覚えがある、どころか、おはようからおやすみまでの間に最も長い時間を共にしているであろう、ジャンの人生にすっかり馴染みきってしまった男の声。だが、それをここで耳にすることになるとは考えてもいなかったジャンは、驚きに目を瞬かせる。
「バクシー? お前もテシカガに呼び出されてたのけ?」
「――さぁて、どーだったべかなぁ」
はぐらかすようなバクシーの物言いは、ジャン相手には通じない。
「ハァ? 違うなら何でこんなとこにいるんだよ?」
肯定をしないということはそれ即ち否定である、と瞬時に判断して、ジャンは再び問いを投げかけた。無意識に小首を傾げたその姿はどことなく幼さを感じさせる。そんなジャンをバクシーは、獲物を狙う爬虫類じみた目でじっと見つめた。今となってはバクシーから威圧感を感じることなどほぼなくなったジャンが、それでも居心地の悪さに身動ぎをしたくなる、そんな視線だった。
「な、何だよぅ……」
「俺以外の男と密会しようとしてたラヴァーズに、ちょっとお灸を据えようかと思って、な」
「男と密会……って、仕事の話だっつーの! 相手、テシカガだぞ?」
「だなァ。――知ってる」
バクシーとしても、本気で何かを疑っているわけではない。ジャンがテシカガに心を移す可能性など微塵も存在するとは思っていないし、テシカガがジャンに対して無体を働くような真似ができるとも考えていない。それでも、自分に対して崇拝や憧憬を超えた欲望――有体に言ってしまえば性欲だ――を抱いている相手とひと気のない場所で二人きりで会うというジャンの軽率な行動に、何も思わずにいられるほど人間ができているわけでもなかった。
無論、ジャン自身はテシカガの下心に気づいていないからこそ無防備に振舞っているのだということはバクシーにも分かっている。注意喚起をしたいのであれば、まずは危険の存在を知らせるところから始めなくてはジャンには意味が分からないことだろう。だが、自分の恋人に横恋慕しているヒヨコの気持ちをわざわざ伝えてやる気などこれっぽっちも湧いてこない。
ジャンは基本的にはヘテロの男だ。どうでもいい男から恋情を寄せられたところで歯牙にもかけないだろう。万が一執拗に迫られるようなことがあれば、二度と言い寄ってこられないように半殺しにするぐらいのことはしかねない。
だが、バクシーの恋人は懐に入れた相手を甘やかしすぎる節があった。どうでもいい男ではなく、可愛がっている部下から向けられる好意――と呼ぶには些か生臭すぎるが――をどのように扱うか、バクシーには判断がつきかねている。ただ、一つだけはっきりと分かっているのは、どうでもいいこととしては扱わない、ということだ。それは、ジャンには常に自分のことだけを考えていてほしいバクシーにとって、不愉快この上ない事態になる、ということでもある。
「ジャン――」
一定の距離から近づいてこようとしない恋人に、大股に歩み寄って柔らかそうな頬に手を伸ばす。頬に触れた指をそのまま耳の裏側へと滑らせると、その動きにバクシーの意図を――性的な誘いを感じ取ったジャンの身体は目に見えてビクリと震えた。
「何考えてんだバクシー……テシカガのヤツ、いつ来てもおかしくねぇんだぞ」
「大丈夫。あいつは――来ねえよ」
口から出まかせの嘘でジャンの訴えを適当にあしらって、後頭部に――手触りのいい髪の毛の間に指を差し入れて引き寄せる。
「来ない――って、そりゃどうい――ん、ふ、ちゅ、んむっ」
まだ何かを語ろうとする口を自分のそれで塞いで黙らせて。バクシーは右手をジャンの股間へと滑らせた。未だ柔らかいそこを撫で上げながら、熱い口腔内に舌を差し入れる。歯並びを確かめるように歯列を舐め上げて、溢れ出る唾液を啜っていると、ジャンの抵抗がわずかに弱まったのが分かった。
「バク、シー、この、バッカやろ……む、ふぁ、あッ」
ジャンの背後にある入り口のドア。彼がこの廃屋に入ってきた直後に確かに閉まっていたはずのそれが、今は少しだけ隙間を覗かせている。こちらからは見えないその隙間の向こう側に向けて、バクシーは殺気を放った。
自分以外の男の恋心をジャンに認識させたくないのであれば、彼に想いを寄せる相手側に注意喚起をするしかない。そのように発想を転換させた男は、横恋慕してきた相手に思い知らせるべく、一層深いキスでジャンの唇を塞いだ。
ドアの向こうに見せてやるのはジャンの背中だけ。快楽に蕩ける表情も、濡れそぼった性器も、歓喜の声も。自分以外の誰にも見せるつもりも聞かせるつもりもない。
(これは、俺のモン、俺の、男だ――)
誰にも渡さないのはもちろん、欲しがることさえも、許したくはなかった。