いつものように、リリーの作った飯を食った後。部屋に引き上げる俺の後ろを一人分の足音が追うようについてくる。ごついブーツの靴底と床が奏でるその音がわざと発せられているものだと気づいたのはいつのことだったか。その気になれば猫みたいに物音ひとつ立てずに移動することのできる男が、俺を警戒させないためにそうしているのだと。無軌道に振舞うキチガイだと思っていた野郎のそんな思いやりめいた気遣いに気づかされて俺がどんな感慨を抱いたか……正確に理解できる奴なんてきっといないんじゃないだろうか。
(――それはそれとして、何だってこいつは俺の後についてきてるんだ)
部屋のドアを開ける前にチラ、と後ろに視線をやると、それに気づいた野郎が固まったみたいに動きを止める。
「――何か用でもあんのか」
「あー……用っつーわけじゃねぇ、んだけどよぅ……」
身体ごと振り返り、訝しむ目つきでジロリ、睨みつけるようにその顔を見やると、バクシーは俺から逸らした視線をあちこちに彷徨わせる。頭に浮かんだことをいつでもそのまま口に出してるようにしか思えない男が、らしくない歯切れの悪さでもそもそと口ごもり。言葉の続きを待つ気になれなかった俺は野郎の言葉尻を捕まえることにする。
「用がねぇなら自分の部屋に戻って寝ろよ。オヤスミ」
「――待ってくれ!」
追い払うように手を振って部屋に入ろうとした俺は、不意に伸びてきた鉤爪みたいな手に腕を掴まれて、反射的に身体を竦ませた。俺の反応に気づいたバクシーは、一瞬だけ傷ついたような表情を浮かべて。俺の腕を放すと、そのでかい身体を縮めるように背中を丸めた。
「その、よぅ。もうちっとだけオメエと話してたいっつーか……」
もじもじとこちらの様子を窺う野郎の態度は、まるで好きな子をダンスに誘おうとしているティーンエイジャーさながらの様相だった。
「――チッ」
咄嗟に脳内に浮かんだそのイメージに、俺は反射的に舌打ちを漏らしていた。理由は説明するまでもないだろう。ダンスに誘われてる〝好きな子〟は他ならぬ俺自身ってわけだ。このキチガイ野郎に何かしらの好意――それも性欲を伴うような類のモンだ――を向けられてるらしいってのは、GDのスミを入れてもらった夜から薄々察していることではあったが。いつの間にかそれを当たり前のこととして受け入れちまっている自分に気づいて無性に腹が立った。
「だ、ダメ、か……?」
俺の舌打ちが自分に向けられたものだとでも思ったんだろう、バクシーがしょげた顔で俺を見下ろしてくる。シカゴのカエル野郎どもやデイヴを相手に立ち回っていた時の姿からは想像もつかないような、憐れみすら感じさせるその姿に背を向けた俺は。
「好きにしろよ」
そう言って、目の前のドアを開けると野郎を振り返ることはせずに自分の部屋に入った。ドカドカと慌てたような靴音が俺の後を追って部屋に入ってくる。俺はそれを無視してソファに倒れ込むように座った。今日のシノギでは荒事が発生することもなく実に穏やかな一日ではあったのだが。ボングだか何だかいうシカゴのアウトランダーの男と会う親父にマックスが付いていったせいで、一日バクシーと二人きりで過ごすことになっちまった俺は。妙な気疲れを覚えていて、いつも以上にくたびれている。
その原因を作った張本人であるバクシーは、ドアの近くで突っ立ったまま。ソファに座っている俺の方をじっと見つめていた。もしも視線に温度があるとしたら、見られている部分が火傷しそうなぐらいに熱い、それ。俺の精神がこんなにも消耗する羽目になった原因。俺をレイプしたくてたまらねぇって、そう、書いてあるような野郎の視線に、俺は。
(ファンクーロ……)
ずくり、下腹部が疼くのを感じて声には出さずに毒づいた。どうして俺はソファになんか座っちまったのか。このソファの上で、俺はバクシーの野郎とセックスをした。フォードの中でレイプされた時とは訳が違う。ガチガチに勃起させてるくせに俺に手を出すのを躊躇ってたこいつを俺が煽って、自分から脚を開いて受け入れたんだ。それも一発だけじゃ収まらず、シャワーを浴びながらもう一発。俺もしっかり気持ち良くなってザーメンをぶちまけていっちまった。
(けど、あれは……直前に吸ってた痛み止めのハッパで思考力が落ちてたせいもあって――)
そんな風に言い訳してみたところで、今現在徐々に反応しつつある自分の股間の状態を説明することはできない。
「な、なぁ、ジャン……」
「――何だよ」
「あの、その、よぅ……キス、してもいいか」
「いいぜ。――って言うとでも思ってんのか」
俺の言葉にパッと明るく輝いた顔が、一瞬で落胆したそれに変わる。他の連中の前ではいつも飄々とした顔で、小憎らしい薄笑いを浮かべているような男が、俺と二人きりの時にはガキみたいにころころ表情を変えやがる。いつものあれが演技ってわけじゃないんだろうが、多分これもまたこいつの〝本質〟ってやつなんだろう。
(俺にだけ見せるガキの顔、か……)
脳裡に浮かびかけた単語が具体的な形を取る前に慌ててかき消そうとして。だが、手遅れだった。〝可愛い〟と。こんなイカレたレイプ魔のキチガイ野郎をそんな風に思っちまったら、もうどうしようもないんだろう、と。諦めにも似た気持ちが湧き起こる。
「……いいぜ、キス、しても」
キスだけじゃ済まなくなるだろうことを予感しながら。バクシーの顔を見ることができないままそう言って。俺は、ため息とともに目を閉じた。