太陽はまだ地平線から姿を覗かせていないが、仄かに明るくなり始めた空がその気配を窺わせる。夜明けまであと少しというそんな時間帯に、バクシーはじっと目を凝らして窓の外を見つめていた。まどろむ恋人の身体を腕の中にしっかりと抱え込み、風に煽られて舞い飛ぶ窓の外の雪を――その隙間を縫って現れるかもしれない人影を見逃すまいと、油断なく視線を動かして。
ピクリ、瞼を動かしたバクシーの視界を、一頭の鹿が横切っていく。先ほど自分の意識を覚醒させたのはコイツかと納得しながらも、バクシーは警戒を完全に解くことはせず、温かい身体を抱く腕の力を少しだけ強めた。もしも今何か事が起こってしまえば。恐らくジャンはいつものようには動けない。その時にはもちろんバクシーが全身全霊をかけてジャンを守るつもりでいるが、事が起こる前に避けることができるならばそれが一番いい。だから、警戒は怠らない。
◇ ◇ ◇
その日、二人が辿りついたのはうず高く積もった雪の中に埋もれるようにして建っている無人の小屋だった。追手に気づかれないよう、ドアの周辺の雪を除けることはせず――そもそも雪を除ける道具もないのだからやろうと思ってもできなかっただろうが――裏手の窓があるであろう位置に当たりをつけ、その周辺の雪だけを素手でかきわけて窓を割った。中に入り込んだ後は内側から適当に穴を塞ぎ、そこでようやく人心地ついた気分になったが、腰を落ち着けるには確認しなくてはならないことがまだ残されている。
中を一通り探索して分かったのは、どうやらそこが冬季は利用されていない狩猟小屋であるらしいということだった。暖房器具の類は一切ない代わりに、非常用の食糧らしき缶詰と瓶詰めの炭酸水がいくらか、それに大型のシュラフを一つ、見つけることができた。見つけた缶詰のうち加熱せずに食べられる物をありがたく頂戴した二人は、ナイフで切り開いたシュラフの下で身を寄せ合った。保温性を考えるのであればシュラフの中に入って寝る方がいいのは明らかだったが、二人で入るには狭すぎるという理由以上に、万が一追手に見つかった時の行動が制限されることへの警戒の方が上回った。ちなみに、ジャンだけでもシュラフの中で寝てはどうか、というバクシーの提案は一考の余地もなく斬り捨てられている。
互いの熱を分け合うようにしてくっつき、抱え込んだジャンの髪の毛に顔を埋めるようにして息を吸い込めば、馴染んだジャンの匂いがバクシーの鼻腔をくすぐる。この数日間着の身着のままで彷徨っているのだから決していい匂いのはずはないというのに、バクシーにとっては何よりも好ましく感じられるジャンの体臭。それを肺の奥深くまで吸い込んでいると、バクシーの腕の中にいるジャンの身体が小さく震えた。我慢できそうにないぐらい寒いのではないか、と問いかけようとしたバクシーは、だが耳を打つくぐもった笑い声にそうではないことを悟る。
「お前、股間にストーブでも隠し持ってんのかよ」
生きてデイバンを出られたなら、好きなだけやらせてやる。そう言ったのはジャンだったが、デイバンを出てCR:5の勢力圏外に逃れたところで追手が消えてなくなるわけではなかった。シカゴやニューヨークのヤクザども、そいつらに雇われた賞金稼ぎや金に目の眩んだ連中が諦め悪く二人に追い縋ってくる。そのような中で肉欲に耽っている余裕などあるはずもなく、結局バクシーは、デイバンを脱け出す前日に身体を重ねて以来ジャンを抱くことはできていなかった。その状態で腕の中には恋人の身体があるのだから、反応するなという方が無理な話だった。
「……スマン……その、放っとけばそのうち収まるからよ、気にしねぇでくれ」
「放っとけば……って、お前のチンコがそんな物分かりいいわけなくねぇ?」
ジャンの言うのも尤もで、バクシーのペニスは本人の意志に反してどんどん硬くなっていき、最早ズボンの中に納めておくのが難しいくらいに育ってしまっている。ジャンから指摘を受けたことで意識がそちらに向いてしまったのも一因なのだろう、一向に収まる気配のないそれに、ジャンの手がそっと宛がわれた。服の上からただ触れられただけだというのに大袈裟に震えたバクシーの反応に小さく笑ってから、少しだけ心配そうな口調で問いかける。
「これ、このままにしてたら締めつけられて苦しくねぇ?」
「正直、壊死しそうですわ……」
「ハハ、だろうなぁ。――クソ、やっぱ勃起してると脱がせにくいな……」
苦労しながら取り出したバクシーのペニスに、ジャンが改めて手を触れた。冷え切った手に痛いほどの熱さが染み込んでくる。
「あっつ……やべぇな、火傷しそう……つーか俺の手が冷たいんだよな、ごめんな?」
ようやくその事実に気づいたジャンが慌てたように手を引こうとするのを、バクシーの手が上から押さえ込むようにして自分の股間に押しつけた。
「俺のちんちんでジャンのお手々をあっためられるんなら本望だからよ、そのまま触っててくれよ」
「バカ、笑わせんな……――なぁ」
ジャンの纏う空気が不意に変わった、と気づいた瞬間、バクシーは唾を飲み込んでいた。バクシーを見上げていたジャンが、恋人の期待を後押しするように蜂蜜色の両目を柔らかく細める。凝視するバクシーの視線の先で、笑みの形に弧を描く唇がゆっくりと言葉を吐き出した。
「デイバンを出たら好きなだけやらせてやる、って。言ったよな?」
いつ追手が来るとも知れないこんな場所でやるわけにはいかない、と跳ね除けるには、ジャンの誘惑は魅力的すぎた。せめて無理はさせないようにしようというバクシーのなけなしの理性も、それを許さず限界まで求めるジャンの貪欲さの前に白旗を上げた。結局バクシーにできたのは、セックスの最中にも追手の存在に意識を配ることと、せめてジャンの中に出さないようにすること。その二点だけで、それ以外の面においては尽くジャンに敗北したと言っていい。
◇ ◇ ◇
今この瞬間に追手が現れれば、満足に逃げることも適わないであろう程度には抱き潰した自覚のあるバクシーは、腕の中の宝物をそっと抱き締める。外見に見合わないタフさを持ち合わせているジャンは、恐らく目が覚める頃にはすっかり回復していつも通りの姿を見せてくれるはずだった。
「ん……」
バクシーの腕に抱かれているジャンが、小さな寝言を零しながら何かを求めるように恋人の服の裾を掴む。その様子に小さく笑ったバクシーは、二人の身体がより密着する形になるよう、ジャンを抱え直した。剥き出しの首元に冷えたジャンの鼻先が触れたかと思うと、そのまま甘えるように顔を擦りつけられる。単に温かな体温に惹かれただけかもしれないが、可愛い恋人の自分を求めるような仕種に、バクシーは胸の奥に炎が灯ったような心地になった。
朝が来れば、目を覚ました恋人は蜂蜜色の瞳で優しくバクシーを見つめながら、甘い声で朝の挨拶を告げてくれることだろう。その瞬間を待ち遠しく思い、早く朝が訪れればいいと思うバクシーは。
(――この時間が永遠に続けばいいのによぅ……)
相反する願いを抱きながら、金糸の髪の毛にそっと唇を落とした。