目を覚ますと、何故か腕の中にバクシーがいた。
意外にもと言うべきなのかイメージ通りだと言うべきなのかは分からないが、寝ている間の野郎は実に大人しいもんだ。寝返りを打つこともめったになく仰向けのまま静かに眠るその姿は、分厚い胸が呼吸で上下していなければいっそ死体と見間違えられても不思議はない。
いつもはそんな感じで、棺の中に納められた死体みたいに眠っているバクシーだが、寝ている間にどんな気紛れを起こしたものなのか、俺に引っ付くようにして眠っていることもたまにはある。多くの場合は俺の頭を胸元に抱え込むようにして寝ているのだが、今日はずいぶんと珍しい――もしかすると、初めてかもしれない――体勢になっていた。
(――これってどういう状況だ?)
俺の腕の中にはバクシーの頭があった。俺の胸に顔を埋め、胴体に長い腕を巻き付けて、しがみつくようにして眠っている。ベッドの足元側に視線をやれば、マットレスに収まりきらなかった長い脚の先が枠の外へと飛び出しているのが見えた。ただでさえギリギリのサイズの男がこの体勢で寝ているのだから当然だろう。どう考えても寝心地がいいとは思えなかった。
もう一度、自分の胸に引っ付いている野郎の頭頂部を見下ろしてみる。この位置からでは表情を窺うことはできないが、俺の胸元を掠めていく野郎の寝息は実に穏やかで規則正しい限りだった。
(どうしたもんかね……)
少しでも寝苦しそうにしているのであれば、起こして姿勢を変えさせるところだが。寝息を聞いている限りでは実に健やか――どころか、いっそ満足そうにも思えるぐらいで、こんなにも気持ちよさそうに寝られていては起こすのが躊躇われる。枕元の時計に視線をやれば、起きなくてはならない時間には今しばらくの猶予があったせいで、余計にその思いは強くなった。
(――気持ちよさそうにしてるから、マァ、いいのかな)
とりあえずバクシーの野郎はこのまま寝かせておくことにして。ただ、ここで一緒にもうひと眠りするにはいささか頭が冴えすぎてしまった俺は。寝返り一つ打つこともままならない状態の俺は、胸に抱え込んだ野郎の頭を見下ろして。手持無沙汰に任せてシルバーグレーの髪の毛を弄んでみる。女みたいに念入りに手入れをしてるわけでもない野郎の髪の毛だが、意外なことに手触りは悪くなかった。
思いの外サラッとした手応えに、そういえば昨夜、セックスをした後に一緒にシャワーを浴びたんだっけ――ついでにそこでもう一戦交えることになった。俺たちには実によくあることだった――と思い出した。セットされていないせいで顔の前側に垂れている髪の毛を見下ろしているうち、俺は何となくムショで出会った頃の――キチガイの演技をしていたバクシーの姿を思い起こして懐かしいような気持ちになり。当時は気味の悪い野郎だと思ってたのに、今となってはそれさえも懐かしいと思っちまってるなんて、我ながら、大した変わりようだった。そんな自分がやたらとおかしく思えて、堪えきれなかった笑いの衝動に俺は腹筋を震わせた。
「――ジャン……」
どうやら起こしちまったらしい。俺の名を呼ぶバクシーの声が、奴の頬と触れ合っている胸から体内を通って鼓膜に伝わってくる。スイッチでオンオフを切り換えてるみたいな目覚め方をする野郎なので、既に意識ははっきりしているはずだったが。バクシーは駄々を捏ねる子供みたいな呻り声を上げ、背中に回した腕に力を込めて俺の身体を抱きすくめると、胸に額をグリグリと押し付けてきた。
「ジャァアンーーー」
「何だよ、子供かよ」
「ボク、赤ちゃんだからママのおっぱいが欲しい」
「っざっけんな、朝っぱらからそんなことしてる暇はねぇ」
起床時間まではまだ少し余裕があるとはいえ、さすがに一発やってその後始末を済ませるだけの時間はない。素っ裸で寝ていたせいで無防備に曝け出された自分の乳首に危機感を覚え、俺はバクシーの頭を引き剥がそうとする。――が、野郎のしがみついてくる力の方が遥かに強くて全く歯が立たなかった。
「てめ、こンの――はな、れろ――ッ」
「――なぁ、ジャン……おめーの嫌がることは何もしねぇからよぅ。もうちっとだけ、くっつかせててくれよぅ」
急に真面目ぶった口調でそう言って、バクシーが俺の胸元からこちらを見上げてくる。長い前髪の隙間から覗く表情は、母親を見失って途方に暮れる迷子みてぇなひどく情けないもので。野郎が時折り見せるその顔に、俺はどうにも弱かった。
「頼むから、俺のこと、だっこしててくれよ……ジャン」
こいつのこんな甘えた声を聞くことができるのは世界中で俺だけなんだと思うと、どうしたって甘やかさずにはいられない。俺はため息をついてバクシーの頭にキスを一つ落とし。野郎の後ろに回した手でその広い背中をポンポンと宥めるみたいに叩いてやった。俺の胸に再び顔を埋めたバクシーが、もごもごと何事かを口にする。
「朝は嫌いだ。おめーと離れなくちゃなんねぇ……」
「離れる――って、今日はずっと一緒に動く予定だろうが」
俺とバクシーは大抵の場合行動を共にしていて、朝から晩まで四六時中顔を突き合わせているようなもんだというのに。俺たちが恋人同士だということを知らない他人からしてみれば、もう少し距離を置きたいと言い出す方がよほど理解できるだろうって程度にはずっと一緒にいる。だから俺は呆れた口調で諭すようにそう言ってやったものの。本当の本音を言えば、俺だって、こいつと離れなくちゃならない朝は嫌いだってことに変わりはなくて。
(――俺たち二人とも、イカレちまってるわなぁ……)
腕の中の体温の高い身体をギュッと抱き締めて、そんな自分を小さく嗤い。だけどそれは決して嫌な気分じゃなくて。
俺は、どうしようもなく幸せだった。