頬に突き刺さるような視線を感じた。そう思って発生源へと顔を向けた俺の視界に電柱のような人影が一つ、映り込む。通りの向こう側に聳え立つようなその人影は、少し前の俺であれば目にしただけで怯えて身を竦めていた恐怖の具現化のような男のそれだったが。今となっては、そよ風ほどにも俺の心を動かすことはない。
物言いたげにこちらを見遣る男の姿を、何の感情を抱くこともないまま見返す。その俺の右耳を、甘えるような響きの声が打った。
「ジャン、さん……あいつが目障りなようでしたら、俺が――ッ」
隣を歩く犬がこちらの許可を得ることなく言葉を吐くのに苛立って、俺は右手に握っていたリードを乱雑に引っ張る。本当ならばそのまま引き倒して道路に転がしてやりたいところだったが。人並外れて体幹の優れた駄犬はわずかに上体を揺らめかせ、絞まった首輪の窮屈さに秀麗な眉を顰めて言葉を詰まらせるだけに留まった。
「――チッ」
それが気に入らなかった俺は大きな音を立てて舌を打つと、犬の脛を目がけて右足を振り上げる。俺の雑な動きなど難なく避けられたであろうに、憐れな犬っころはは左の脛――いわゆる弁慶の泣き所を素直に俺に蹴り上げさせた。鍛え抜かれた脛には大したダメージでもなかっただろうが、それでも柳眉がわずかに歪む。
目に見えない耳を伏せ尻尾を巻いて、何とも情けない表情で犬は俺を見下ろしている。見下ろしているくせに、まるで地面に這いつくばってこちらを見上げているかのような惨めさを感じさせるその目つきに、俺は溜飲を少しだけ下げた。
「俺の許可なく吠えるな。犬は犬らしく、俺に言われたことを言われた通りにやってりゃいいんだよ。自分の頭でモノを考えるんじゃねェ」
「は、い……ごめんなさい」
俺と飼犬がそんなやり取りをしている間、電柱野郎は相も変わらず通りの向こう側に突っ立って、こちらを眺めていた。思わせぶりな視線がいい加減鬱陶しく感じられてきた俺はその場を離れようと男に背を向け。それから、ふとあることを思いつき。右手に持ったリードをぐいと引っ張って飼犬の顔を自分のそれへと引き寄せる。
「なぁジュリオ、あの木偶の坊を俺のとこまで連れてこい」
「あそこにいる、ギャングのこと、ですか……」
「そうだ。抵抗するようなら骨の一、二本折ったって構わねぇが……うっかり殺したりはするなよ?」
「はい、それがジャンさんの望みならば」
こくりと頷いた飼犬のリードを外してやると、猟犬よろしくキチガイギャングの許へと一直線に駆けていった。そのまま流れるように繰り出されたジュリオのナイフを、山刀めいたデカい刃物でバクシーがあしらう。あの二人が争えば怪獣大戦争じみた事態になるんじゃないかというこちらの思惑を綺麗に外し、やり合う合間に言葉を交わしたらしい男どもは至極あっさりと刃物を収めた。
無駄に図体のデカい木偶の坊が二人、連れ立って俺の許へとやってくる。ナイフは収めたものの、剥き出しの警戒心を隠そうともしないジュリオに対し、バクシーは飄々とした態度で。野郎の大きな口にはこちらの神経を逆撫でする、人を馬鹿にしたような笑みが浮かんでいる。
「よォ、ドギィ。俺に何の用事だよ?」
嘲るような口調に、野郎の斜め後ろにいるジュリオの瞳が燃えるような怒りを浮かべてギラつくのが分かった。だが、先ほど俺に「自分の頭でモノを考えるな」と言われたことを覚えているのだろう。形の良い唇を微かに震わせながらも、ギュッと真横に引き結んで言葉を吐き出すのを堪えている。
「説明すんのは面倒なんだよな。ついてくれば分かるぜ」
「ヘェ……もしかしてオメーのオトモダチに会わせてくれるんけ?」
現在俺が飼っているのはジュリオだけじゃない。CR:5の幹部だった他の三人も俺の手中にいる。そのことを知っているぞと暗に告げてくるバクシーの言葉に、俺は薄っすらと笑みを浮かべた。
「オトモダチ、か」
(そんなモンは、いねぇ)
今の俺に友なんてものはいるはずもない。必要ともしていない。
現在の俺の持ち合わせは、貶めて念入りに踏み躙り、飽きたら泥水の中に打ち棄てる予定のオモチャが四体、それだけだ。そして。
(せっかくだからテメェもその仲間に入れてやるよ)
五体に増えたオモチャの遊び方を――壊し方を思い浮かべてニタリと嗤った俺の顔を見たキチガイ野郎が、珍しく怯んだような表情を一瞬だけ浮かべた。あっという間に綺麗に覆い隠されたそれを見逃さなかった俺は、更に大きく口を歪めて笑う。
――今更警戒したって、もう、遅い。