怪我をしたあと、目を覚ましたバクシー。罰は当たっているような当たっていないような、そんな話。

038:忘れた奴には罰が当たる

7,044文字 / 約8分
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目が覚めた瞬間、絶え間なく襲ってくる頭痛に俺は眉を顰めた。

「ファックンだァこりゃ

クソッタレが頭蓋骨の中で、勝手に持ち込んだ銅鑼を鳴り響かせているかのような不愉快さに、口の中でファックを吐き捨てて。ぼんやりと霞む視界に二度、三度と瞬きをする。
次第にクリアになってきた視界に映し出されたのは、見覚えのない壁と天井。認識した途端に頭痛を凌駕するような警戒のアラートが脳内で鳴り響く。反射的に飛び起きようとすると、今度は左肩から背中にかけて灼けるような激痛が走った。思わず肩に手を回すと指先に包帯の感触が触れる。こんな怪我、いつ負ったんだ。まるで心当たりがねぇ。
慎重にそろそろと身を起こし。そうして、自分が寝ていた寝かされていたのが、清潔なシーツを敷いた大きなベッドであることを確認して、改めて眉を顰める。

「こりゃァどういうこった?」

自慢じゃねぇが、寝首を掻こうと狙ってくる相手には事欠かない。そういった連中の襲撃を避けるために幾つかの塒を転々としているわけだが、それらの何処とも一致しないこの場所には違和感しかなかった。自分の意思で此処に来た覚えがねぇってことは、誰かに運び込まれたってことなんだろうが、その理由にまるで思い当たるところがねぇ。

抗争でもあった、か?」

見知らぬ部屋に覚えのない怪我、と来れば、負傷した際の打ちどころでも悪くて前後の記憶を失っていると考えるのが一番順当なところだろう。だとすると。

(狙われたのは俺個人か? それとも

首を狙われているのは何も俺だけじゃねぇ否、俺よりも親父の方が遥かに敵が多いかもしれない。親父の喉笛に真正面から喰らいつくような気骨のある野郎には幸か不幸か心当たりがないが、隙あらば背後から襲いかかろうと考えているだろう連中ならば掃いて捨てるほどにいる。

(デイヴか、ホーナスかゴンザレスのハゲが反旗を翻したっつー可能性もなくはねぇか?)

どいつもこいつも、自分の勝ちを確信できる状況になるまでは尻尾を巻いてコソコソ隠れ回ってるしか脳のない臆病者ばっかりだ。だが、そんな連中が牙を剥くとしたらそれなりに周到な準備や根回しができてるってこったろう。いくら親父がバケモンみてぇに強くても、その状況で一人で立ち回るのは骨が折れるはずだ。
もしもこの仮説が当たってるんだとしたら、俺は抗争の途中でぶっ倒れちまったことになるんだろうか。だとしたら、その後親父は俺抜きでその状況を乗り越えたことになる。

(乗り越えたんだよな? 無事なんだろうな、あのオッサン)

俺がこうして生きて目を覚ましたしかもご丁寧に、怪我の手当てもされているらしいってことは、だ。GDが誰かに乗っ取られちまったって可能性は限りなく低いに違いない。俺をわざわざ助けようとする奴なんて、親父とせいぜい、あのお人好しのマックスぐらいしかいやしねぇ。
マックスの野郎は口先では何だかんだとすぐ逃げ腰になってみせるが、結局は相手を見捨てられずに最後までずるずる付き合っちまうような情の深い男だ。損得勘定ができねぇとも言う。そんな野郎だから、仮に親父が危機的状況に陥りでもすれば結局はそっちに向かっちまうだろうし、そうなりゃ俺に構ってる余裕はねぇだろう。
だから、俺がこうやって無事でいるってことは。つまり、親父も無事なはず、ってこった。

ッ痛ェ

どうにか記憶を蘇らせようと試みるも、頭痛がいっそう激しくなるだけだった。耐え難い痛みに身を折ってシーツに額を擦りつけながら苦悶していると、不意に部屋のドアの開く音が室内に響いた。相手は気配を殺している様子もないってのに、こんなに接近されるまで全く気づいていなかった自分の腑抜け具合を罵りながら身を起こし、入室してくる相手に視線を素早く走らせる。

(気配を殺してねぇってことは向こうはこっちを警戒してねぇってことだわな)

俺がまだ意識不明で寝たきりだと思い込んでいるからか。或いは、そもそも俺の敵ではないからか。どちらにせよ、見知った相手が姿を見せるもんだと無意識に考えていたらしい俺の予想を裏切って。

「バクシー!? お前、目が覚めたのか!!」

開いた扉の向こうには、驚いたように目を見開く、見知らぬ男が立っていた。そいつが手に持っていた何かが床に落ちるのが見えたが、それを気にかける様子もなくそいつは慌てたように部屋の中へと入ってくる。
キラキラと目に眩しい金髪に、心配の色を浮かべた金色の瞳。まるで黄金を溶かして固めて作ったみたいな派手な風貌は印象的で、一度会ったらそうそう忘れられるようなもんじゃなさそうだが、生憎と俺にはこれっぽっちも見覚えがなかった。
ベッドの上で起き上がっている俺に駆け寄ってきた男の体躯は俺よりも一回り以上も小柄で細っこい。いかにもひ弱そうな見た目だが、俺の鼻は、近寄ってくる男から漂ってくる不穏な匂いを敏感に嗅ぎつける。どことなく馴染みのあるその香りが何なのか、と考えたのはほんの一瞬で、俺の頭はすぐに答えを導き出していた。

血の、臭いだ)

気づいた直後、ぞくり、と背筋を悪寒が駆け抜ける。たまたま怪我を負ったとか、誰かの手当てをした際の移り香だとか、そんな生易しいもんじゃあ、ねぇ。髪の先から足の爪先まで他人の流した血にどっぷり浸かって身に沁みついた、そういう類の臭いだ。
荒事とは無縁そうなツラをした優男、何処にでもいるようなありふれたチンピラ風情にしか見えねぇ野郎だってのに、纏う空気は物騒なことこの上ない。俺を案じるような表情と声色は演技じゃなさそうに見えるが、だからこそ、凄まじい違和感を生み出して俺を混乱させた。

「お前、起き上がっても大丈夫なのか?」

ベッド脇までやってきた男が、俺の腕に触れる。肘と手首の中間辺りにそっと添えられたその手から。黒い何かが自分の中にじわじわと侵食してくるような、そんな心地になった俺は。

触ンな!!」
「!?」

咄嗟に、その白い手を乱暴に振り払っていた。俺がそんな態度に出るとは考えもしなかったのだろう、男は驚いたように息を呑みその顔に傷ついたような表情が浮かべられる。それを目にすると、何故か俺の胸まで痛むような心地がして。

(ファック俺はどうしちまったんだ?)

男の顔を見ていると、ただでさえ酷かった頭痛がよりいっそう激しさを増していく。垂れ下がった前髪を握り締めるようにしながら、俺は俯いて歯を食い縛り。その隙間から、苦鳴を漏らした。

「テメェは何モンだ
!! バクシー、お前、まさか記憶がねぇのか? 親父やマックスのことは? 自分については覚えてるか?」
親父とマックス、は
「親父とマックスのことは覚えてるんだな? 丸っきりの健忘じゃなくて、記憶が退行してるって感じか

この得体の知れない男にどこまで情報を渡していいのか判断がつかず、だんまりを貫くつもりだったが。無意識に気にかけちまっていたらしい二人の名前を出されて、思わず反応を返しちまう。それだけで、目の前の男には俺の状況があっさりバレちまったようだ。
さっきから俺らしくもねぇヘマを繰り返しているのは、恐らくこの頭痛のせいだろうと思ったが、もしかするとこの男にも原因があるのかもしれない。

「バクシー、お前の記憶では、今は何年の何月なんだ?」
「一九三二年の五月じゃねぇ、とでも言うつもりかよ
「あぁ、俺と会うちょっと前まで、戻っちまってんのか

俺の返答に男は深々とため息をついてだが、少しだけ安心したような表情で、力づけるように笑いかけてくる。

「今は一九三四年の、五月だ。ちょうど二年ぐらい、記憶がすっぽ抜けちまってんだな」
「にねん

不意に俺に背を向けた男は、部屋の入口へと足を向ける。そのまま出て行くのかと思いきや、扉の付近で身を屈め先程取り落とした何かを拾い上げて、戻ってくる。

「ほれ。暇潰し用に持ってきてた、今日の新聞だ」

無造作に差し出されて反射的に受け取ったそれは、確かに男の言う通りただの新聞でそこには、男の言葉通りの西暦が印字されていた。だが、それを額面通りにすんなりと受け入れる気にはなれるはずもねぇ。

(これが仕込みっつー可能性は

本当は俺は記憶喪失でも何でもないのに、この野郎がそう思い込ませようとしている可能性もあるんじゃねぇだろうか。治まらない頭痛に両目を細めながら、目の前の男を睨むように見遣る。

「いきなり言われても実感ねぇよな。まぁ、もうちっとだけ大人しくしててくれよ。今日はこの後、マックスも顔を見せる予定だからさ、話はそっちから聞いてくれ」

そんな俺の考えなどお見通しだと言いたそうな表情で小さく笑った男の顔には、もう、さっき目にした傷ついたような色は浮かんではいない。俺はそのことに何故か安堵し。同時に、わずかな苛立ちを覚えても、いた。
その理由が何なのかは、今の俺に分かる由もなかった。

◇ ◇ ◇

窓の外を眺め通りを行き交う人間を見下ろしながら、温いコーラをひと口。俺の記憶にあるロックウェルの風景とはまるで違う否、昔に戻ったみてぇだって、そう言った方がいいだろうか。そんな風に考えてみてから、俺は頭を軽く左右に振った。

「昔の賑わいにはまだまだ足りねぇやな」
「やっぱそっか。昔のロックウェル、相当景気が良かったらしいもんな。けど、すぐだぜ」

背後から掛けられた声に振り返ると、俺が外を見ている間に部屋に入ってきていた気配に気づいてはいたが、敢えて放置していた男と目が合った。俺の視線を受け止めた男が、ニヤリ、と笑う。

「すぐに、昔よりもっと賑やかな街にしてみせるさ」

犬歯を剥き出すようにして獰猛に笑うこの男が、現在のGDの実質的なボスなのだと。目覚めたあの日、マックスから聞かされた言葉を思い出す。
マックスや親父から現状について説明を受けて、今が俺の記憶にあるより二年後の世界だということは納得した。
俺の記憶から失われている、二年という年月。その間にGDは一度壊滅状態になり、ボスと構成員が合わせて四人ぽっきりという、スラムのガキでももう少し景気がいいだろって具合のオママゴトギャングになり下がり。そこに、俺とこいつがデイバンで拾ってきたっていう四人が加わって、リーハイ川の川砂をカネに換えるシノギに精を出し。今やマックスがカタギの会社の社長サン何ソレうけるとなってカネを生み出し、GDの構成員も増え、ロックウェルには少しずつ住人が戻ってきつつある。
金勘定のできない親父に代わってGDを仕切っているのはこいつジャンカルロで、記憶を失う前の俺とジャンは随分と親しい間柄だったらしい。あの日俺が目覚めた部屋つまりは今現在俺が滞在しているこの部屋のことだがは元々俺の塒だったそうで、隣の部屋ではジャンが寝起きしている。部屋に置かれた私物の様子を見るに、記憶を失う以前から俺たちが同居してたってのはどうやら疑いようがない。
他人と同居するなんて、今の俺からすると考えられない変化だ。二年前には出会ってすらいなかったような相手とそんな関係になっているなんて、よほどこいつと馬が合ってたんだろうってのは想像に難くない。
それに、他の連中の話を聞いてみても、俺は随分とこの野郎を気に入っていたらしいことが窺い知れた。

『お前がジャンを連れてきたんだ。犬を飼いたい、と言ってな』
『僕たちが出会った時にはもう、お二人は唯一無二の相棒という感じでしたよ』
『バクシーの兄貴はジャンさんに惚れ込んでる! って感じで、お二人を見てるとカッケェなぁって』

他人から見ても容易に分かるぐらい。そんで、知られても気にしないむしろ見せつけてやろうという意図を感じるぐらい。俺はこの野郎を気に入ってというか、入れ込んでいたらしい。

『そもそも、ジャンをボス扱いし始めたのはオメーなんだがなぁ』

目が覚めて、一通りの説明を受けたあとのことだ。あの野郎に組を乗っ取られたようなモンってことだろ、親父はそれでいいのか、と問うた俺に、マックスは困ったようなツラでそう返してきた。正直、耳を疑った。この俺が、親父以外の人間をボスとして担ごうと考えるなんざ、そんな日が来るなんて想像したこともなかったってのに。
あれから一ヶ月ほどになる。親父や他の連中からも話を聞き、ジャンの仕事ぶりを目にして、現在の組の状況についてはそれなりに納得したわけだが。

「何だよ、やけにジロジロ見てくるじゃねぇか。俺の顔に何かついてるか? つーか、訊きてぇことがある、ってツラだなぁ。何だよ、言ってみろよ、バクシー」

いつの間にか探るような目つきでジャンを眺めていたことに、相手の言葉で気づかされる。そこまで露骨に表に出していたつもりはなかったが、この野郎は妙に勘の鋭いところがあるようで、大抵の隠し事は無意味だってのはこの一ヶ月で把握済みだった。

「オメーは俺がこのまんまでも全然平気そうだよな、他の連中と違ってよ」

最初のうち、俺の記憶喪失は一時的なものと判断されたんだろう、殆どの連中の反応は楽観的なものだった。だが、そこから一週間、二週間と時間が経過しても一向に何一つ思い出す気配のない俺に、物言いたげな視線を向けられることが徐々に増えてきて。一ヶ月経つ今は、向けられる視線から不安の色がありありと感じ取れる。特に、デイバンで拾ってきたっていう手下どもの反応は顕著だ。
このまま記憶が戻らなくても、現状の把握さえできれば仕事に支障はねぇはずだ、と俺自身は軽く考えていたが。どうやら、連中にとっては俺と過ごしてきた時間ってもんが重要らしい。
確かに親父やマックスと違って、手下連中とはほぼ初対面状態だ。個人間の些細なやり取りや互いに抱いた感情なんてのは、説明のしようもねぇもんだろう、とは思う。それがそんなに大事なモンなのかどうかが今の俺にはさっぱりと判断のつかねぇところだが。少なくとも、あいつらはそれを重要だと俺に取り戻してほしいと、考えているようだった。
一方で、俺と最も濃密な時間を過ごしてきたであろう周囲の話を総合すると、俺とジャンは一ヶ月足らずであっという間に唯一無二の相棒関係になったらしいジャンの態度は、どれだけ時間が経過してもまるで変わらなかった。少なくとも俺の前では、焦る様子も、不安そうな気配も、一切見せることはない。

「オメーはさ、俺の記憶が戻らなくてもかまわないんけ?」

ああ、俺はそれが気に食わねぇのか)

できるだけ淡々とした口調で言ってはみたが、口にして初めて、自分が抱えていた不満の存在に気づかされる。俺の記憶なんて、俺と過ごしてきた時間なんて、ジャンにとってはどうでもいいもんなのかと。俺は随分とこいつに入れ込んでいたらしいのに、相手にとって自分は取るに足らない存在だったのか、と。
そんな風に考えちまっている自分が我ながら意外で戸惑いを覚える俺を、ジャンもまた、戸惑ったような表情で見つめ返し。それから、答えを探すように、金色の双眸を宙に彷徨わせる。何も塗っていないはずなのに、艶のある薄い桃色をした唇がゆっくりと開かれて。

「記憶が戻らなくてもいい、なんてことは思っちゃいねぇが

そう言ったジャンの唇の両端が、不意に持ち上がった。笑って否、嗤っている。何もない虚空を彷徨っていた視線が、俺の顔の上に戻ってきて、こちらの両眼を射抜くように貫いた。

「記憶が戻らなきゃ、またイチから教え込むだけだからな。お前が俺の犬だってことを、な」

獲物の喉笛を食い破り、生き血を啜る獰猛な獣みたいなそのツラを見た瞬間、俺は何もかもを理解した。

(あぁ、入れ込んでるとか惚れてるとか、それどころじゃねぇイカレてたんじゃねぇか)

こいつが近くに来るたび、俺に触れるたび、ぞわぞわとした悪寒めいた居心地の悪さに襲われていたのは、嫌悪感とか拒否感とかじゃなくて。

(勃起しそうってことだったんだわなぁ)

そう考えると、当然のように気になることがある。いくら俺がデカいからとはいえ、俺のベッドは一人で眠るには些かオーバーサイズ気味だった。ジャンが寝起きしている部屋にも一応ベッドはあるが、本来は二人で同じベッドに寝てたんじゃないだろうか。記憶を失くしている状態でさえ、視線が合っただけで勃起しそうな相手と一緒に暮らしていて。その上同じベッドで寝ていたと来れば、何もなかったはずがねぇ。

「ナァ、一つ訊きてぇんだけど」
「ん? 何だよ」
「俺、オメーをやってたん? それともオメーにやられてたん?」

俺の質問に、ジャンは不意を突かれたのか一瞬まぁるく目を見開いて驚きを表現してから、一転、表情を崩して盛大に笑い出した。ひとしきりゲラゲラと笑い転げたあと、滲んだ涙を拭きながら。

「その辺は、また今度。夜にゆっくり時間を取れるタイミングが来たら、教えてやるよ」

それまで待ってな童貞坊や、と意味深に囁くジャンの笑顔の男臭さに、俺は一瞬見惚れて。それから、自分がボトムの可能性についてうっかり真剣に考える羽目になる。
真相を知るまでの間、俺のオカズは当然のようにジャンになったわけだが。ジャンに抱かれる妄想でもヌいたかどうかは、永遠の謎ってことで。

忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな