公園の湖で、カップル定番の手漕ぎボートデートをするバクシーとカポジャンさん。

046:どこにも行けない

2,997文字 / 約4分
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公園の湖に浮かぶ小さな木製の舟。恋人同士がデートで乗ってるような、手漕ぎタイプのアレだ。大の男が二人で乗ると些か窮屈にも思えるその舟に、俺は今乗っていた。
GDのギャング野郎と二人きり。オールは、ない。

「どうしてこうなった

目の前で機嫌よく鼻唄を歌いながら水面を覗き込む電柱野郎の横顔を眺めつつ、俺はこうなった経緯を思い返していた。

◇ ◇ ◇

たまにはいつもと違う店でプランゾでも食おうかと、普段はあまり行かないエリアに足を運んだ帰り道。店の近所に公園を見つけて、腹ごなしに歩いてみようと言い出したのは他ならぬ俺だった。
アレッサンドロ親父とGDのボス・イーサンとの間に何かしらの協議があったとかで、最近の俺の身辺は実に平穏なものだ。護衛もそれを分かっていて、快く散策に付き合ってくれる。
護衛を従えて園内をフラフラと歩いていた俺が湖の畔に差し掛かった頃のこと。目の前に、いきなりこの男が現れたのだ。すわ討ち入りか、と色めき立って俺を庇おうと前に出た護衛の存在を綺麗さっぱり無視して、バクシーは声をかけてきた。イーサンからの伝言があるが、他の人間には聞かせられない、と。
要望を素直に聞き入れるには危険すぎる相手だが、現状を鑑みると無下に撥ねつけるのも難しい。悩んだ俺は視線を巡らせそうして、湖に浮かぶボートが目に入った瞬間閃いた。
湖のど真ん中まで行っちまえば、俺たちの会話を誰かに盗み聞きされる心配はねぇ。だが、俺たちの姿は湖畔に残した護衛から常に丸見えの状態だ。野郎が何かおかしな行動を取ればすぐにバレる。素通しの密室、ってやつだ。
俺の提案にバクシーはすんなり頷いた。ちょっとばかり意外だった。湖の上に浮かんだ小舟なんて逃げ場のない状況は格好の的になる。警戒心の強いこの野郎なら狙撃を警戒してもちろん、俺はそんなチンケな真似をするつもりはねぇが嫌がりそうなものなのに。むしろ嬉々としてボートに乗り込む姿に少しばかり嫌な予感を覚えたが、自分から提案しといてやっぱり無しだと言うこともできず、俺たちはボートに乗り込んだ。
オールは先に乗り込んだ野郎に握られちまった。こんな野郎に舵を任せるなんて冗談じゃねぇ、と俺は焦った。だが、滑らかに舟を漕ぎ出した野郎に「オメェは俺より上手く漕げるんけ?」と問いかけられて返す言葉もなかった。正直、ボートを漕いだ経験なんて碌にねぇ。黙り込む俺を見ておかしそうに笑ったバクシーは、俺に一通の封書を投げ渡して「それでも読んでろ」と言い、再び舟を漕ぎ始めた。
野太い腕のひと掻きで、船は水上を滑るように進んでいく。あっという間に小さくなっていく護衛の姿に少しだけほんの少しだけ心細いような心境になりながら、俺は渡された封書を開いた。中から出てきた便箋に綴られた内容に目を通し、そして

「お前、こんなことのために来たん?」
「そう言ってやるなよぅ。五十代の残念なオッサンどもが真剣に考えて協議した内容だじぇ」

呆れた声を出した俺を、バクシーが言い聞かせるような口調で宥める。この口ぶりだとこいつも中身を知ってたんだろう。だとしたらよくもこんな馬鹿らしい使いを引き受けたもんだ、と思う。
アレッサンドロ親父との話し合いで決めたらしい内容と、それに関するイーサンの要望とやらがつらつらと書かれていたわけだが。その内容を要約というか、俺なりの超訳をさせてもらうとするならば。
『アレッサンドロとの喧嘩は一時休戦することにしたけど仲直りしたわけじゃないんだからね。あいつの顔はできるだけ見たくないから、次の会合にはアンタが顔を出しなさいよね!』っていう。あー、イヴァンの仕切りにこういうオンナノコ、いたなぁって感じ。

「協議の内容がコレとか暇すぎんだろ用事ってのはこれだけか?」

だったらとっとと岸に戻ろうぜ、と。言外に告げて湖岸の護衛を振り返った俺の後頭部に。

「せっかく二人っきりのデートなんだぜ? もうちっとゆっくりしたってバチは当たんねぇダロ」

野郎のトンチキな台詞がぶつかって、転がり落ちた。

「ファンクーロ、俺はテメェと違って暇じゃねぇんだよ」
「暇そうにぷらぷらお散歩してたくせに?」
「カッツォ! 忙しい合間の息抜きをテメェが邪魔したんだよ!」
「そりゃあ悪かったなァ。じゃあもうちっと息抜きしてこうじぇ」
「テメェと一緒にいたら休まるもんも休まらねぇよ」
「そうつれねぇこと言うなよぅ」
「こンの!」

何を言ってものらりくらりと言い返し、一向に岸に向かおうとしない野郎に業を煮やした俺は、奴の握るオールに手を伸ばす。
だが、俺の手がオールに触れることはなかった。
腕を伸ばした俺を見て、バクシーはあっさりと掌を開いてみせた。支えを失ったオールはあっけなく水面に落ちていく。跳ねた水がボートの横っ腹を打ち、それから少し遅れて、歪んだ波紋が湖面に広がっていく。

「な、

唖然とする俺の目の前で、棹はスローモーションみたいに水に呑まれていった。反射的にその後を追おうとした俺は、自分の動きに合わせてボートが揺れるのを感じて慌てて縁にしがみつく。

「何、してくれてんだこの野郎馬鹿野郎! オールがなかったらどうやって岸まで戻るんだよ!」
「そう慌てんなよぅ。この距離なら別に泳いでも帰れるべ」

詰め寄る俺にバクシーがけちょん、と言い返してくる。俺とは正反対に焦りなんて微塵も感じさせないそのツラに。

ッ」

(俺は、泳げねぇんだよ!!)

すんでで理性が働いて、俺は迫り上がった言葉を呑み込んだ。自分の弱味をこの男に知られるわけにはいかない。歯噛みする俺の顔を覗き込むようにして、バクシーがニタリと笑う。

「な、もうちっとだけ、湖上デートと洒落込もうじぇ」

◇ ◇ ◇

舵を失い、ただ湖の波に揺られるしかない小舟の上で、イカレたギャングと二人きり。湖面を見つめる野郎の横顔を睨みつけながら、俺は内心途方に暮れていた。
バクシーはほとんど何もしていないただ、掌を開いただけだせいで、護衛はこちらの状況にまだ気づいていないようだった。どうにか現状を伝えて予備のオールを持ってきてもらう方法はないものか。思案する俺を、バクシーがのんびりと振り返る。
視線が合った瞬間、野郎の両眼がやんわりと眩しいものでも見るみたいに細められる。たったそれだけのことで、獲物を捉えた爬虫類みてぇな顔が、ひどく柔らかい印象になった。

(何だよ、その目はよ

何故だか胸が詰まったような気分になる。そんな俺に気づいているのかいないのか、バクシーの口許に小さな笑みが浮かんだ。いつもの、相手を馬鹿にするような人を食ったやつじゃない。

(嬉しそうなツラしやがって

居心地の悪くなった俺は、湖面へと視線を落とした。澄んだ水は太陽の光を反射してキラキラと輝いている。顔を上げれば、視界に広がる空の吸い込まれそうな高さ。繊維状の雲の眩しいような白さ。湖岸の樹々の瑞々しい青さ。今の今まで全く目に入っていなかった風景に目を留めて。
ああ、綺麗だな、と。そんな感想がすとんと胸に落ちてきて、俺は。

(もう少しこのままでも、いいか?)

さっきまでは騒がしかった舟の上が、今はやけに静かで。だけどそれは決して居心地の悪い沈黙じゃない。
その事実に、胸がひどくざわついていた。

由良の門を 渡る舟人 かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋の道かな