白い小さな花を眺めるジャンの目。舐めたら甘い味のしそうな蜂蜜色のそれがキラキラと輝く様子に自然と心が満たされる。このお星様みたいな花は絶対こいつに似合うと思っていた。こうして並んでるところを見て、自分の感覚は間違っていなかったと改めて確認できて、そのことにも密かな満足感を覚える。
「――――ッ…………」
せっかく満ち足りたいい気分でいたってのに、脇腹の傷が無粋な声を上げてきやがった。思わず息を呑んだ俺に、ジャンが不思議そうな視線を向けてくる。このわんわんはその名に相応しく鼻が利く。あんまり長居してると隠し事に気づかれちまいそうだと悟った俺は、早々に立ち去ることを決めた。
「そんじゃ、プレゼントは渡したっつーことで」
「えっ、何お前、もう帰んの?」
「何だよ俺に帰ってほしくねぇって? わんちゃんは添い寝が希望でちゅか? してやってもいいけどよぅ、同じベッドに入ったら添い寝だけじゃ済まさねぇぞ」
ベロリ、舌を出して挑発するように言ってやると、ジャンの頬が見る見る赤く染まっていくのが分かった。何だその処女まんこみてぇな反応。手前の誕生日パーティでは取り巻きの野郎どもに公衆の面前でハグさせたりチューさせたり。こんなん公開セックスの一歩手前じゃねぇのか、ってな破廉恥行為を平気な顔して繰り広げてるくせに。
「テメェこのキチガイギャング野郎! 人んちの儀式を言うに事欠いてこ、こ、こ、公開セッッとか……言ってんじゃ、ねぇ!」
「アレ? 俺、今の口に出してた? ゴメンゴメン、本音が出ちゃった」
「テメェはもう、帰れーーー!!」
「帰ろうとしてたとこを引き止めたのはオメェじゃんけ」
「うるせぇぇぇ!!」
ジャンが手近にあったクッションを掴んで投げつけてくる。それをひょいと避け、肩を竦めて。
「そんじゃ、また来るワ。次は俺の誕生日かな」
「二度と来るんじゃねぇ!」
噛み付くように憎まれ口を投げつけてくる可愛いわんこに手を振って、部屋を出た。ドアの外にいたジャンの護衛だろう黒服が、俺の姿を目にしてビクリと震えるように反応する。招待状を楯に無理矢理部屋の中まで押し通った俺が何を仕出かすか、気が気じゃなかったんだろう。気持ちは分かるが、毎日ジャンの顔を拝んでるんだろう幸運な野郎に同情してやる気はねぇ。
目が合った直後にはもう視線を逸らしちまってる情けない黒服をジロリ、睨みつけ。だが、興味はすぐに失われちまう。
(また傷が疼いてきやがったぞ、クソが……)
身体が上げる忠告の声に従って、俺はこの敵地のど真ん中からさっさと退散することにした。
◇ ◇ ◇
西行きの長距離バス。満員の車内に身を落ち着けた俺は、自分に向けられている視線を――その不在を、確認する。誰も見ていないという確信を得て、そこで初めて脇腹に手をやった。掌の下で、じわり、痛みが広がっていく。
腹を覆うさらしの下には昨夜できたばかりの真新しい傷があった。ロックウェルに乗り込んできた、シカゴのヤクザども。向こうでの勢力争いから弾き出されて居場所を失くし、再起の可能性にかけて遥々遠足にやってきた雑魚の襲撃を受けたせいだ。
それ自体はそう珍しいこっちゃねぇ。同盟相手なのは分かっちゃいたが、どうにも気に入らなかったシカゴ野郎をうっかり殺しちまって。そのお礼参りにやってきたマヌケ共もほぼ全滅――半分くらいは本人たちの自滅みたいなもんだったとは思うが。おかげでシカゴの一部の組からはすっかり恨みを買っちまってるってわけだ。
俺にやられた仲間の弔い合戦をしてぇおセンチな野郎ども。方々で恨みを買ってるGDのショットガン・バクシーを討ち取って名を上げたい連中。そんなもんには事欠かない。どいつもこいつも手応えのない雑魚ばっかりだが、退屈凌ぎには丁度いい。
(そのはずだったんだが、ナァ……)
こんな風に怪我をするなんざ俺らしくもない下手を打った。あの噛み癖のある可愛い金髪の犬ッコロに似合いの贈り物を見つけた。その油断がよくなかったのかもしれねぇ。明日にはあの金髪ビッチに会いに行ける、と浮かれてた自覚もある。
目を閉じると、瞼の裏についさっき目にした光景が蘇った。白い、星みたいな愛らしい花と。それを見つめるジャンの瞳。金の双眸に浮かぶ柔らかで優しい光。
本当は、いつもみたいにこっそり入り込んで驚かせてやりたいところだったが。この怪我を抱えてあの厳重な警備を掻い潜るのはさすがに――無理だ、とは言わねえが、無駄な手間だと言わざるをえなかった。
「……フ、フフ…………」
ごく小さな、多分隣の野郎にも聞こえないぐらいの密やかな笑い声が口から漏れる。部屋に入った瞬間のジャンの顔を思い出したせいだ。この俺がドアをノックして堂々と訪問してくるなんて一ミリも考えてなかった、と。そう書いてあるような見事なマヌケ面だった。
不本意ながら正面から突撃する羽目になったが、おかげであんな珍しいツラを見られたってんなら、それも悪くなかったかもしれねぇ。
刺激のない人生なんてクソみてぇなもんだ。平和な日常とか穏やかな時間とか、そんなもんを有難がる趣味は、俺には、ねぇ。いつ死ぬか――殺されるか分からねぇ、そういう人生を自分で選んで、生きている。
俺が死んだって、ジャンは嘆き悲しんだりしねぇだろう。知ってる。それでいい。
ただ、あの部屋で。あいつの傍で。
――あの白い花が咲いていれば、それでいい。