露見したら身の破滅だと分かっていながら、バクシーと身体だけの関係を断ち切れずにいるカポジャンさんの話。

Invisible Boundary - 2/3

16,926文字 / 約19分
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休暇明けの執務室で、休んでいる間に溜まっていた書類との睨めっこがようやく一段落する。気の利く兵隊が先ほど持ってきてくれたコーヒーのカップを口許に運び、ひと口含んで飲み込んだ。程良い温度の液体が喉を滑り降りていく際に、軽い引っ掛かりを覚える。一昨日から昨日にかけて酷使した喉の調子がまだ戻っていないようだ、と思いながら軽く咳ばらいをしていると、ドアをノックする音が室内に響いた。

「あいよー、入っていいぜ」
「ご機嫌麗しゅうマイロード。今、咳をしているような声が聞こえた気がするけれど、もしかして風邪でもひいてしまったかな?」
「もう少ししたらまた忙しくなるんだ、体調を崩してるならスケジュールに余裕のある今のうちに休んでさっさと治しちまえよ」

部屋の中に入ってきたのは俺より年長の、デキルスタイルのイケメン二人組。眉尻を下げて心配そうにこちらを見つめる眼鏡がお似合いの苦労人と、眉を顰めて顎に手を当てながら俺の調子を検分しているらしい赤毛の美丈夫。二人の視線を追い遣るように、俺はカップを持っていない左手を振って、椅子から立ち上がるとデスクの周りをぐるりと半周。二人の部下の前に歩み出て、ちょっとばかり大げさに腕を広げてみせる。右手にはまだカップを持ったままなので、中身を零さないよう用心は忘れない。

「こないだの休みにちょっと、な。年甲斐もなく大声ではしゃぎすぎちまっただけだ。心配しなくても体調に問題はねぇよ」
「本当に? それならいいんだが
「そんな理由か? ったく、お前は相変わらずガキみたいだなぁ」

説明してやってもなお、案じるような視線を向けてくる過保護な筆頭幹部にウィンクをしたあと、憎まれ口を叩く第二位幹部へ投げキッスを一つ。

「いつまでも少年の心を忘れない男って魅力的デショ」
「ヴァ・カガーレ」

呆れたような口調だが、何が気に入ったのやら楽しげな表情で笑うルキーノに釣られたように、ベルナルドの口許にも笑みが浮かぶ。

「で、うちのお忙しい幹部殿二人が雁首揃えて何のご用事? 何か報告してもらうようなことでもあったっけか、俺が忘れてるだけ?」
「俺はベルナルドがお前に用事があるって聞いたんでついてきただけだ。しばらく顔、合わせてなかっただろ」

俺が休暇を取ったのは昨日と一昨日の二日間だけだが、その前の三日間はルキーノが休んでいたために、確かに五日ほどは顔を合わせていなかったことになる。状況によっては毎日のようにツラを突き合わせることもあれば、一ヶ月近く電話越しの声しか耳にしないこともある俺たちの間柄において、五日間の空白が長いか短いかは判断のつきかねるところではあるが。

「マァ嬉しい。そんなにアタシが恋しかったのね」
「ハハ、そういうことにしといてやるさ」
「そんで、ベルナルドの用事ってのは?」
「ああ、ついさっき部下から上がってきた報告なんだが例の、GDの幹部ショットガン・バクシーの目撃報告があったらしいんだ」

その名前を耳にした瞬間、俺は密かに息を詰めた。心当たりならば売るほどあるからだ。目撃報告に上がってきたのはバクシー本人でまず間違いはないだろう。野郎と最後に顔を合わせたのは昨日の昼頃で、奴はロックウェルに戻ると言って俺の隠れ家を後にしたはずだが、まだデイバンにいやがったのか。

(考えてみりゃ、あの野郎が何もかもを正直に俺に話す筋合いなんてねぇからな

目まぐるしく考えを巡らせているせいで声を出せない俺の代わりに、ルキーノが部屋中に響き渡るような怒声を轟かせる。

「何だと? あのクソッタレのキチガイ野郎がデイバンに現れたってのか!?」
「落ち着け、ルキーノ。あくまでもそれらしき人物を見かけた者がいる、というだけで何か事件や騒動が起こったわけではないんだ。しかも、目撃されたのはどうやら昨日の昼ぐらいのことだったらしくてね

ビンゴだ。あいつが使うつもりだった交通手段が列車なのか長距離バスなのかは知らないが、俺の隠れ家から駅か停留所へ移動するところを誰かに見られたのかもしれない。

「昨日の昼、だと!? 丸一日以上経ってるじゃねぇか! 情報が回ってくるのが遅すぎるだろうが、どうなってやがる!」
「連係ミスでこちらに報告が上がってくるのが遅くなってしまったらしいそれについては俺の責任だ。今回発生した連絡網の不備については既に改善を行っている。ただ、それだけ時間が経っているのにそれ以上の報告が何もないということは、勘違いという可能性も充分にありえる。ただ、用心するに越したことはないだろうがね」
「ジュリオはいつ戻るんだったか明日いや、明後日だったか? おいジャン、ジュリオの奴が戻ってくるまでお前は本部からは一歩も出るなよ」

バクシーの言葉が嘘じゃなければ、あの野郎はもうデイバンにはいないはずだった。そもそも、あいつが俺に危害を加えようと思えば一昨日から昨日にかけてその機会はいくらでもあったわけで。仮にバクシーが俺に嘘をついていて、実際はまだデイバンに居座っていたところで、だ。その狙いが俺に対する襲撃である可能性は限りなく低いことだろう。
だが、そんな事情をこいつらに説明できるわけなんてもちろんあるはずもなく。

「りょーかい。俺の最強の守護天使が帰ってくるまではおとなしーく本部に缶詰めになってるわ。あーあ、明日のプランゾは最近駅前通りにできたっていう新しい屋台のホットドッグを食いたかったんだけどなぁ」

できるだけ自然な口調を意識しながら、素直なお返事とちょっとのぼやきを交えた〝いつも通りの自分〟を装う俺の心臓は、まだドクドクと脈打っている。

「ああ、その店の評判は俺も聞いているよ。明日、誰かに買ってこさせよう」
「フライドオニオンとビールもよろしくね、ベルナルドおじさん」
「承りました、お嬢様」

鳩尾の辺りに手を当てながら優雅に腰を折ってみせたベルナルドの横で、ルキーノがイライラした素振りで頭を左右に振り、呆れたような声を上げる。

「お前ら、よくそんな暢気な会話をしていられるな?」
「カリカリしたってしょうがねぇだろ。とはいえずっと本部に居座ってる俺より、外に出なきゃならないお前たちの方が危険は多いよな。そっちこそ気をつけてくれよ」

今度の台詞は演技をする必要もなかった。バクシーが俺に嘘をついてデイバンで何かを企んでいるのだとしたら、幹部の誰かが狙いである可能性の方がよほど高い。俺の不安が伝わったのだろう、ベルナルドとルキーノはチラ、と互いの視線を交わしたあと、俺の身体を両側から挟む形で囲ってきた。

「幸か不幸か書類を溜め込みすぎていてね、俺もしばらくは本部に缶詰めだよ。ご心配なく」
「俺があんなエテ公にやられるもんかよ、もしも目の前に現れやがったら返り討ちにしてやるぜ」

俺の身体を支えるように腰に回されたベルナルドの右腕と、子供を宥めるみたいな調子で俺の背を叩くルキーノの分厚い掌の感触。俺を安心させようとしているのだろう二人の体温に、だけど、俺が思い出しちまったのは。

『なぁドギィ、もっと鳴け、喚けよ!!』

俺の名前ひとつ、まともには呼ぼうとしないキチガイ野郎の声と、吐息の熱さ、だった。

◇ ◇ ◇

忙しい二人のデキル男が出て行ったあと、一人執務室に取り残された俺は、深く息を吸いそしてまた、咳ばらいをひとつ。会話の間に空になっちまったカップをテーブルの上のソーサーに戻し、その指で自分の喉元をそっと撫でさする。昨日は半日かけて喉を休めたことで声の掠れは治ったが、奥の方にすれたような鈍い痛みと微かな熱っぽさがまだ残っていた。

こんなこと、いつまで続けるんだろうな

独りきりの空間に零れ落ちた自分の声にその内容に、眉根が寄る。こんなの、まだしばらくは辞めるつもりがない、と言っているも同然だろう。望んで始めた関係じゃなかった。だけど始まってみれば、それは俺にとってひどく都合が良かった。
どんなに忙しくて精魂尽き果てるような日々を過ごしていたところで、溜まるもんは溜まるし、人肌が恋しくなる時もある。そんなことをルキーノやイヴァン辺りの前でうっかり口にしようもんなら、きっと張り合う勢いで厳選したイイ女たちを見繕ってくれるに違いない。

(でも、それってどうなのよ)

立っていることに飽きた俺はデスクの前の椅子へと戻って倒れ込むように腰かける。俺の全体重を預けられた革張りの椅子はギュウ、という悲鳴こそ上げたものの、頼もしく俺の身体を受け止めて支えてくれた。誰も見ていないのをいいことに、だらしなく尻をずらして背もたれに頭を預け、天井を見上げる。
部下に女の世話をされるなんてのは俺の趣味じゃない。かといって不特定多数の相手と行きずりの関係を楽しみたいという時期もいつの間にやら通り過ぎていた。だが、特定の相手を作るとなると、それはそれで何かと問題があった。今の俺の年齢と立場でそのような相手を作れば、周囲が黙ってはいないだろう。決まった相手がいるのならば結婚して子供を作れ、と、そうせっつかれるのが目に見えていた。
いずれは俺も誰かと所帯を持つことになるのかもしれない。だが、今のところは全くそんな気にはなれなかった。関係を持った相手にそういった期待を抱かれるのも御免だった。
そんな俺にとって、将来を一かけらも期待することのない、責任を取る必要もない、ただ快楽を共有するだけの存在というのは実に都合が良かったのだ。自分が女役である、という点と、あの野郎が敵対組織の幹部であることにさえ、目を瞑れば。

(正直、目を逸らすにはデカすぎて無理のある問題だけど、な特に後者に関しては)

だが、そういう相手だからこそ遠慮なく付き合えている、とも言えた。俺もあいつも嫌なことは嫌だというし、気に入らないことがあれば殴ってでも抵抗できる。これまで散々敵対し殺し合ってきた仲だ、今さら気に入られようなんていう頭もないから、遠慮なしに振る舞える。

『テメェの穴はどうなってんだよ? 気持ちよすぎんだろうが、クソがァ』

不意に脳裏に蘇る、低く濡れた声。俺の耳の裏側に鼻先を突っ込み、汗で湿った髪の毛をかき分けながら落とされた囁き。酒やヤクよりも遥かに容易く理性を溶かしてくる、熱い吐息と甘い律動。逃げる俺の腰をがっちりと掴んで食い込む長い指。それらの猛攻に堪えきれず、はしたなく声を上げて何度も果てた、その結果が、今だ。

けほっ」

関係を続ければ続けるほど、露見するリスクも高まっていく。あのキチガイとの関係が露呈すれば、俺に待つのは身の破滅だ。分かっているのに、今はまだ、あの野郎を手放すことができない。できそうに、ない。あの男の狂気に満ちたそれでいてどこまでも冷静な眼差しが俺だけに向けられているあの瞬間、俺は全てを忘れられる。組のことも自分の立場も可愛い部下たちのことも、一切を忘れて、ただの一個の雄あるいは、雌に成り下がる。
椅子から立ち上がり、窓辺に立って外を眺める。遠くで時刻を知らせる教会の鐘が鳴り響いた。

(なぁ、お前はどう思ってるんだ?)

この関係に、名前はない。つけるつもりも、ない。あいつも同じように考えているかどうかは、分からなかった。もしかしたら何も考えていないのかもしれないし、何かに利用しようと企んでいる可能性だってゼロではないだろう。
だが、あいつの思惑がどんなものであれ。

「もう少しだけ、付き合ってもらうぜ

呟きは目の前のガラスに当たって自分へと跳ね返ってきた。