結局、バクシーの野郎との関係はずるずると数年もの間続くことになっちまった。その間に、思わず声をかけたくなるようないい女や、一緒に家庭を築くのであればこういう相手がいいんだろうと思えるような女との出会いだって少なからずあった。
だというのに、俺は結局あのキチガイ野郎の手を放すことはできないまま。あいつが俺に愛想を尽かして会いに来なくなる、なんてこともないまま。
だからといって、俺たちの間に何かしら甘い空気が生まれるようになったのかと言えば、そんなことも一切なく。ただ、変わらない時間だけが流れていく。
だけど、ここまで関係が続いていて、何もない、なんてことが本当にあるんだろうか。
実はもう、俺たちの間には何かが生まれちまっているんじゃないだろうか。
いつしか俺は、そんなことを考えるようになっていて。それを、あの野郎に確かめてみたいような気になっていた。もしもあいつが否定するのであれば、それはそれでかまわない。俺とあいつはあくまでも都合よくお互いを利用し合う関係ってことになるんだろう。
だけど。
だけど、もし。もしも、だ。
あいつが肯定するなら。俺とあいつの間にあるもんが、利害関係以上の何かしらの情を伴った特別なものだと、あの野郎がそう、認めるのであれば。
「どうしたらいいか、なんて、分かんねぇ、よなぁ……」
野郎の返事を聞いて自分がどんな反応を返すことになるのかは正直未知数だった。肯定されても否定されても、嬉しく思うのか失望するのか逃げ出したくなるのか、どれだけ考えてみてもこれぞ正解だろうという答えは見つからない。返答次第ではみっともなく狼狽えて、醜態を晒す羽目に陥る可能性だって、なくはなかった。
だけどそれでも。俺は、あいつの答えを聞いてみたかった。
◇ ◇ ◇
「ジャン、急報が入ったんだ。GDが壊滅状態になり、ボスのイーサンはかろうじて生存が確認されたが、幹部を含めた十余名が生死不明の行方知れずで……それで、その――あいつ……ショットガン・バクシーは死亡、したらしい」
「――――バクシーが、死んだ?」
急ぎ足で執務室へとやってきたベルナルドの言葉を上っ面だけ拾い上げて繰り返し、そこでようやく内容を理解した、俺は。貧血を起こしたみたいに目の前が真っ暗になって、全身の力が抜けたようになっちまった。椅子に座っていたのは幸いで、もしも立っていたならその場に引っ繰り返っちまっていたかもしれない。
「ジャン!? 大丈夫か、その――……」
俺が突然脱力したのは目に見えて明らかだったようで、ベルナルドが気遣わしげな声をかけてくる。多分、俺が知り合いの死にショックを受けていると、そう、判断したんだろう。
かつては災厄級の最凶の敵としてCR:5内では忌み嫌われていたバクシーだが、近年は組織や俺個人の危機をあの野郎に助けてもらったことが何度かあって、友好的とは言わないまでもそれなりに利害関係の一致した協力体制を築くことができていた。
無論、あいつ自身の性格のせいもあり、うちの組織の中には相変わらずあの野郎をキチガイ呼ばわりして忌み嫌っている連中――主にルキーノとか、ジュリオとか――も少なからず存在はしているのだが。俺としては、奴との個人的な付き合いを差し引いて考えてみても、取引相手としてはそう悪くないと考えていた。それで、ここ数年GDやバクシーとは付かず離れずの距離を保ってきていたのだ。あくまでも表面上は、の話であって、裏ではべったり密接な関係を構築していたわけだが、そんなことをベルナルドが知る由もない。
いつ何時命を落としたって不思議はない、そういう稼業だ。バクシーに限った話じゃない、俺自身も、今目の前にいるベルナルドや、現在この場にいない幹部たち――最強無敵に思えるジュリオですら、そうなのだ。俺が身を置いているのはそういう世界だ。マフィアのカポたるもの、もっとどんと構えてなくちゃならねぇと頭では分かっているのに。身内ですらない男の死に対して過剰反応しすぎだと、そう、分かっているのに。
「な、んで……ありえねぇだろ。だってあいつ、死ぬような男じゃないだろ? ルキーノの銃で撃たれようが、ジュリオのナイフで切られようが、平気でピンピンしてたじゃねぇか……」
震えを押し殺しながら出した声が、努力を裏切ってみっともなく裏返っているのが自分でも分かった。
「気持ちは分かるよ、ジャン。俺も最初に報告を受けた時は信じられなかったさ。だが、奴を見知っているルキーノの部下が、死体を確認したそうだ」
「――なん、で、そんなことに……」
「今朝、夜明け前にGDのシマに――ロックウェルに、シカゴの勢力が乗り込んだらしいんだ。どうやらGD側に内通者がいたようで、事が起こるよりも先にボスの――イーサン・マックロアの身柄を抑えられて兵隊たちは手を出しあぐねていたそうだが……」
ベルナルドの語るところによると、ボスの捕らえられている建物へ単身突っ込んだバクシーは、全ての弾を撃ち尽くし、山刀が折れるまで戦い抜き、最期は残された敵の一味をダイナマイトで吹っ飛ばし、その衝撃波からボスを庇った。その際に飛んできた破片が全身に突き刺さり、動脈を含めた血管をいくつも損傷し、そうして、ボスの命と引き換えに自分は命を落としたのだ、と。
「――――ッ」
ぐらり、世界が揺れるような眩暈に俺は目を閉じて耐えた。椅子から滑り落ちそうになる身体を、肘掛けを握り締めてグッと堪える。信じられない――信じたく、なかった。あんなにも強くて狡猾で、ジュリオにすら殺すことのできなかったような、そんな男が、他人を――ボスを庇って死ぬだなんて。いつだって自分のボスのことをハゲだの童貞だの金勘定のできないダメ親父だのと罵って嘲笑っていたってのに。本当は、テメェの命よりも大事に思ってたなんて、そんなことちっとも気づけなかった。
(結局俺は、お前のことなんて何も知らなかったんだな……)
お前に、そんな風に大事に思う相手がいるなんて考えたこともなかった。人間らしい感情とは無縁の野郎だと、そう思い込んで決めつけていた。
「GDは壊滅した、っつってたな……シカゴの連中を手引きした内通者ってのはどうなったんだ?」
「イーサンの話によると、全部バクシーが殺してしまった、と」
「そうか……」
(仇を取ってやることも、できやしねぇ、のか)
「すまねぇ、ベルナルド……ちょっとだけ、一人にしてくれねぇか……」
「――――っ、……ああ、分かったよ、ジャン。ジャンから連絡があるまでは、誰もここには近寄らせないよう、外の護衛に言っておく」
「……サンキュ、ダーリン」
「ハニーの頼みならお安い御用さ」
ベルナルドが静かに出て行って、執務室の扉が閉まってもまだ、俺はぐったりと椅子に体重を預けたまま、身動ぎひとつすることができずにいた。目を閉じると、最後に見たバクシーの姿が瞼の裏に蘇る。あれは、一ヶ月――否、二ヶ月前、だったかもしれない。いつもの俺の隠れ家で、いつも通り頭の芯まで快感で痺れるようなセックスをして、くだらない憎まれ口の応酬をして、そうして。最後、部屋を出て行くバクシーの背中をいつものように見送る俺に、あいつが不意に振り返って。
伸ばされた腕に後頭部を掴まれて引き寄せられた。てっきりキスをされるんだとばかり思っていた俺の予想を裏切って、あいつはただ、俺の額に自分の額を触れ合わせ、そのままじっと、何かを祈るみたいに目を閉じていた。キスの間でさえ目を閉じることのない野郎が――それを知っているということは、こちらも同様に目を閉じてないってことでもあるんだが――そうしている姿はひどく珍しくて、あの爬虫類じみた光を宿す眼が閉ざされたその顔は案外と幼く、穏やかにも見えて。思わず目を奪われちまっていた俺の視線の先で、やがてゆっくりと瞼を開いたバクシーは。
「ラッキードギィ。テメェの幸運とやら、ちっともらってくぜェ」
口許にはうっすらと笑みを浮かべているが、ひどく真剣な眼差しをしたあの野郎は、そんな囁きを残して、今度こそ本当に出て行っちまったんだった。もしかしたらあの時にはもう、組織内の裏切り者の存在にあいつは気づいていたのかもしれない。
――否、本当は、もっとずっと前から、あいつは獅子身中の虫の存在に気づいていて、そういった連中を油断させ、警戒されることのないように、あんな振舞いをしていたんじゃないのかと。ボスのことなんて一ミリも敬おうとしない、いざとなったら上役だろうが何だろうが盾にして自分が助かろうとしそうな、そんな男だと思わせて。そうして、肝心な時には自分がタマを張ってでもボスを助けようと、そんな風に考えていたんじゃないのかと。今になって初めて、俺はその考えに思い至って。
俺があいつの本当の姿に気づけていたら、もっと、話せることがあったんじゃないのか。何かしら手助けしてやることだって、できたんじゃないのか。そんな、今さら考えたって何の意味もない後悔に苛まれる。
(どれだけ悔やんだって、死人は、還ってきやしねぇってのにな……)
不思議と、涙は出なかった。ただ、自分の胸の奥にぽっかりと、あの野郎の形をした空洞ができちまったんだってことだけは、分かっていた。
◇ ◇ ◇
バクシーの訃報を知らされてからの日々は、醒めない悪夢の中を彷徨っているかのようだった。考え事をしようとしてもすぐに集中が切れちまう。食事も碌に喉を通らない。眠りに就いても、実際には目にしていないはずのあいつの最期を何度も夢に見て、飛び起きちまう。
そんな俺を見かねた幹部たちには休暇を取ることを勧められたが、それで何かが改善されるとは思えなかった。むしろ、一人の時間が増えるだけ、よけいに悪化するような気もして。組のために――誰かのために働いている間は、少なくとも思考を他所に向けることができる。そうして我武者羅に働いて、働いて、働いて。前を向こうと、俺は必死にもがき続けた。
昼休み、ふらりと訪れた公園のベンチで、食欲のなかった俺はジュリオが以前にお勧めだと言っていた屋台で買ったジェラートの容器を手に、ぼんやりと空を見上げていた。
視界の隅には護衛の着ている黒いスーツの端が映り込んでいる。炎天下で突っ立ったまんまにさせていることを申し訳なく思いながらも、立ち上がる気力が出ないまま。俺は虚ろな目で空を――そこに浮かぶ雲を追いかける。
(あ、あの雲、猫みてぇな形だなぁ)
そう思った瞬間、そういやあいつは猫が好きだったな、なんてことを反射的に思い出して。お互い変装して歩いたダウンタウンの路地裏で、二人でジャーキー片手に野良猫を餌付けしたこと。俺の作った飯がトマトだらけだと文句を言いながらも、お代わりまでしたあいつの満足そうなツラ。初めて抱かれた日の、滴るような憎しみと目の覚めるような快感。発熱してんのかと訊きたくなるような、いつだって熱かった野郎の体温。こっちが一言えば十は返ってくるような、憎たらしいけど小気味よくもあったおしゃべり。ウィアード・テイルズの話題で盛り上がったこともあった。
あの野郎との思い出は全てが鮮明に俺の記憶に焼き付いてるっていうのに、それを味わうことは――思い出を更新することは、もう二度と叶わない。その事実に、絞めつけられるように胸が痛んだ。
(……認めてやるさ……)
俺はきっと、あの気狂いギャングのことが――バクシー・クリステンセンが、好きだった。恋だの愛だの、そういう柔らかくて優しくて情熱的な感情とは違う。友情や仲間意識みたいなもんとも違った。それなりの信頼は置いていたが、互いにタマを預け合えるほどには信用できなかったし、契約は結んでも約束を交わすような間柄にはなれなかった。
だけどそれでも、俺たちの間にあったのは、単なる利害関係を超えた何か、だった。もっと深くて、もっと複雑で、だけど、名前のつけられない関係。
それが何なのかを確認する機会を、俺は永遠に奪われてしまったのだと。改めて実感して、俺は絶望に胸を塞がれる。
(クソ、クソ、クソ……!!)
殺したって死なないような、人類が死滅した世界で、最後に一人地上に立って哄笑していそうな、そんな野郎が俺よりも先にとっとと死んじまうなんて、一体どんな悪い冗談だよ。
だけど同時に、ひどくあの男らしいような気もした。
何も語らず、何も残さず、勝手に現れて勝手に消えやがる、あの野郎自身が野良猫みたいな男だった。だけどその猫は俺の人生にきっちりと爪痕を遺していきやがった。
(この痕は、一生、消える気がしねぇな……)
バクシー・クリステンセンという男は確かに、俺の人生において唯一無二の存在だったのだ。
(なぁ、俺たちって、何なんだ? ――何だった、んだ?)
訊きそびれた問いを頭の中で反芻する。俺がもたもたしている間にあいつの口は永遠に閉ざされちまった。答えを聞くことは、もう二度とできない。
木立を揺らす風の音が鼓膜を撫でていく。視線を落とすと、器の中のジェラートはすっかり溶けて液体になっていた。ため息を零しながらベンチからゆっくりと立ち上がると、二人の護衛が音もなく近寄ってくる。そのうちの一人が気を利かせてくれたのに甘えてジェラートの器を預け、俺は車に向かって歩き始めた。
(ひと足先に、地獄で待ってやがれ)
いつか答えを聞きに行くから、それまでの間に俺の納得のいく答えを用意しておいてくれ。そう、頭の中の面影に語りかけながら。
俺はまだしばらくの間、この世界で生きていく。立ち止まっている暇はなかった。