2026年バレンタインSS。カポジャンさんとバクシーの過ごすバレンタイン妄想。

キスより甘い

3,773文字 / 約5分
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長かった会食を終え、本部へと戻ってきたジャンはアルコールと葉巻の後味の残るため息を吐き出しながら自室のドアを開けた。

「遅かったなァ。待ちくたびれたじぇ」

電気のスイッチを押すのとほぼ同時、背後で閉まるドアの音に被さるように、何者かの声が上がる。驚きのあまり詰まってしまった喉からひゅう、とか細い息が漏れた。大きく見開いた視界の中、ソファにどかりと大股を開いて座っている大男の姿が入り込んだ。

もー、マジでうちの警備ってどうなってんの大丈夫?」
「あれで警備してるつもりなんだからマフィアってのはお気楽でいいよナァ」
「言われてますわよベルナルドォ

ぼやくジャンの声に危機感はない。これまでに幾度も繰り返されてきたやり取り。カポの中に存在していたなけなしの警戒心は、この男に対しては、もはやほとんど残されていないに等しかった。
ネクタイの結び目に指を差し込んで緩めながら、ジャンはソファに座る男その前に置かれたテーブルの上へと視線を投げる。そこには箱が一つ載っていた。クリームイエローの箱の表面に深いグリーンのロゴ。ホイットマンズのサンプラーだ、とジャンは一目で看破した。
贈り物としては定番の、フィラデルフィア発のチョコレートブランド。それが何故か自分の部屋にある。今朝部屋を出る時になかったことは確実だ。そうなれば、可能性はいくつかに絞られる。そう考えたジャンは、最も高そうな可能性にベットした。

「それ、お前が持ってきたん?」
「ああ。親父んとこに届いたやつ。あのハゲ、甘いモンが嫌いだからよぅ、くれるっつーからもらってきた」

バクシーがサンプラーを手に入れた経緯に、ジャンはなるほどなぁ、と何気ない調子で頷き。だが、続いた言葉で一瞬固まった。

「オメーにやろうと思って」

何で、という言葉をジャンはかろうじて呑み込む。追及すると、藪をつついて蛇を出す事態になりかねない。

(くれる、っつーならもらうだけだ)

心の中で自分に言い聞かせながらジャンは無言で執務用のデスクに歩み寄る。受話器を手に取ってバクシーを振り返ると、彼の動きを追っていた銀色の双眸と視線が出合った。何をするのかと問うような視線に金色の瞳を細め。

「チョコの礼にコーヒーでも用意させるわ。飲んでくだろ?」
ああ」

躊躇うように一瞬だけ間を開けてから、バクシーが応諾の声を上げる。それに頷いて、ジャンは内線で二人分のコーヒーを頼んだ。
受話器を置いてジャケットを脱いだジャンは執務用の椅子の上にそれを放り投げる。首をぐるりと回してから、バクシーの座るソファの近くへと足を運んだ。テーブルの上に載せられた箱に視線を落とすと、どうぞ、とでもいうようにバクシーが片腕を広げる。恭しく促すような仕種は、長い腕のおかげか意外なほどに様になっていた。

(中身はキチガイのイカレ野郎のくせに反則だろ

ドキリとした自分を宥めるように内心で文句を呟きながら、ジャンは箱を開けた。サンプラーの名に相応しく、十種の魅力的なチョコが顔を揃えて出迎えてくれる。しばらく指を彷徨わせてから、ジャンはその中でも特にお気に入りのフレーバーをひとつ摘み上げ、口に放り込んだ。口の中に広がる濃厚な甘さに、蜂蜜色の双眸が自然と細められる。

旨い?」
「うめぇ。やっぱホイットマンズは間違いねぇわ」

常よりも低いトーンで発された、囁くような問いかけ。そこに含まれた微かな色気にジャンは噛む動きを一度止め、だが、何気ない風を装って返答する。それに対し、バクシーは無言で応じた。

(自分から訊いといて無反応かよ!)

内心で突っ込みつつもそれを声に出すことができないまま、ジャンはしばし無言でバクシーと見つめ合う。むず痒いような緊張感が頂点に達するよりも前に、静かなノックの音が鳴り響いた。天の助けとばかりにドアに駆け寄ったジャンは、そのまま入口でコーヒーとシュガーポットの載ったトレイを受け取る。ドアの外からは、敢えて中を覗き込まない限りソファに座る客の姿を窺い見ることはできない。そして、カポの客人を詮索しようという行儀の悪い部下は、今日のところはいなかった。

「ほれ、コーヒー。こっちが砂糖な」

チョコレートの箱の横にトレイを置き、ジャンは早速コーヒーをひと口飲む。カップから唇を離して視線を上げると、じっと見つめる銀色の瞳と視線が合った。

何だよ」
「砂糖、入れねぇの」
「チョコが甘いからブラックで丁度いいんだよ」
「ホウ

感心しているようなそうでもないようなバクシーの声をBGMに、ジャンはチョコレートの箱を覗き込み、次の一粒を選ぶ。その向かい側で、バクシーはコーヒーに砂糖を落としていた。

(コイツもコーヒーに砂糖とか入れるんだな

他の人間であれば当たり前だと思えるようなことが、この狂人じみた男を相手にしていると驚きの対象になってしまう。だが、バクシーのそういう〝人間らしい〟一面を感じる瞬間が、ジャンは嫌いではなかった。
無意識に唇を綻ばせながら、ジャンは選んだチョコレートを手に取って口の中に放り込む。幸せそうに蕩けた表情で目を瞑るジャンの向かい側。バクシーはコーヒーに三つ目の角砂糖を迷いなく放り込んで掻き混ぜていた。
四つ目の角砂糖を投入したコーヒーを、今度は混ぜることなくバクシーが口に運ぶ。それをひと口飲み下してもまだ、ジャンは目を閉じて口をもぐもぐと動かしていた。

「それ、そんなに旨いんけ」

問いかけの声にようやく目を開いたジャンは、自分の顔をじっと見つめていたらしいギャングの視線に少しの気恥ずかしさを覚えて小さく唇を尖らせる。

「旨いよ。っつーかオメーも食えばいいじゃん」

三つ目のチョコを口の中に放り込んだジャンの言葉に、バクシーはわずかに目を伏せてカップをソーサーの上に戻した。巨躯が前触れもなくのそりと立ち上がるのを、ジャンは不思議そうに見上げる。

「何
「俺はこっちでいい」

何故わざわざ立ち上がるのか、というジャンの問いが言葉になるよりも先に、頬に手が伸びてくる。自分の顔を丸ごと包み込んでしまいそうなほど大きな掌に下顎を掴まれ、反射的にジャンは上を向いた。覆い被さった大きな影の下で、二つの唇が重なり合う。
許可を得ることなく滑り込んできた傍若無人な舌が、ジャンの噛み砕いたチョコを互いの舌の表面になすりつけるように蠢く。そのいやらしい動きに、ジャンはカッと頬に血を昇らせたが、抵抗することはできなかった。
顎を掴む右手の親指が愛しむようにジャンの下唇を撫で。後頭部に回された左手は、やんわりと髪の毛を梳いている。そうして、間近で自分を見つめる鋼色の瞳は、逃げないでくれと懇願するような色を浮かべていた。

(クソ、何で

何故、この男はそんな表情をするのか。何故、自分は逃げることも抵抗することもできないのか。何故、自分にキスをしたりするのか。何故、自分はそれが少しも嫌ではないのか。脳裡にいくつもの〝何故〟が渦巻く。だが、その思考は次第に薄れて、いつの間にかジャンはキスに没頭していた。

二人の唇が離れた瞬間、どちらのものとも分からない、名残惜しさの滲む細い吐息が部屋に響いた。それはごく微かだが、ジャンを正気に戻すには十分な存在感を有していた。

「ぁ、ッ」
「あ、オイ

声にならない声を発したジャンは、気持ちを落ち着けようとばかりにテーブルの上のカップを引っ掴む。カップ越しに触れる温度から、中身は適度に冷めていることが察せられた。制止するようなバクシーの声を気に留めることもなく、ジャンはそれを勢いよく喉の奥へと一気に流し込む。

ッ、ブッ!?」

喉の奥に叩き込まれた暴力的な甘さが脳に伝わった瞬間、ジャンは口の中に残ったわずかな液体を口から吹き出して咽た。

「な、な、これ、何!?」
「それ、俺のコーヒーだべ。オメェのはそっち」

空になったカップを手に盛大に咳き込みながら、ジャンはバクシーの指の先を視線で追う。言葉の通り、バクシーが座っていた側のソーサーが空になっていた。だが、それだけでは説明がつかないと脳が訴える。自分たちのカップには同じものが入っていたはずなのだから。

「テメェ、何、入れやがったッ」
「何って砂糖しか入れてねぇよ。コーヒーに他に何入れるっつーんだ」

苦し気に問うジャンに、バクシーがしれっと応じる。その言葉を聞きながら、ジャンは手にしたカップに視線を落とした。空になったとばかり思っていたカップには、薄い茶色に染まった影が溶け残った砂糖が陶器に貼りつくようにして残されていた。

お前、何個入れやがった」
「四つ」
「四つ!? 何の嫌がらせだよ!」
「嫌がらせも何も、おめぇが飲んじまうとかこっちだって想定外だったっつーの」

心外そうに言うバクシーの言葉を、ジャンの理性はその通りだと冷静に受け止める。だがその一方で、どうしようもなく突っ込みたい衝動が込み上げてくる。

(砂糖を四つも入れたら、それはもうコーヒーじゃねぇだろう!)

嗜好品には口うるさいCR:5の筆頭幹部が知れば卒倒必至だ、と。そんなことを考えながら、ジャンは手にしていたカップをソーサーに戻し、代わりに持ち上げた自分のコーヒーで口直しを試みる。
いつの間にか、キスの余韻はすっかりと消え失せていた。