雪原で、バクジャンの片鱗を目撃してしまったベルナルド、的なお話。

028: れる、枯れる、涸れる、何もかも 

2,149文字 / 約3分
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自分の左隣でライフルを構えるジュリオの呼吸が、ひどく乱れる。内心の葛藤をそのまま顕すかのように、幾度も幾度も繰り返される深呼吸。それは隣で聞いているベルナルドに、彼が過呼吸を起こすのではないかという不安を抱かせたが。それでも、ジュリオを振り返ることはせず、ベルナルドは双眼鏡を握る手に力を込めて衝動を堪えた。
きっと今、ジュリオの表情を見てしまえば、自分は彼の腕に飛びついてでも止めようとしてしまう。その自覚がベルナルドにはあった。だが、未だ、トスカニーニの印章を所持しているはずのジャンを、CR:5はこのまま行かせてしまうわけにいかない。
ジャンを殺してでも印章を取り返さなくてはならない、というコーサ・ノストラの幹部としての意識と。ジャンを可愛がっていた弟分を否、長年密かに愛してきた男を死なせたくはないという想いと。相反する二つの考えがベルナルドの中でせめぎ合い、そうして幹部としての意識がわずかに勝った。
だが、覚悟を決めて成したはずのその決定が、今現在も彼を苦しめ、傷つけ続けている。それでも仲間たちの手前、ジャンを死なせたくはないと、このまま逃がしてやってくれと口にすることもできないまま。せめて、最期の瞬間まで見届けていたいと覗き込んだ双眼鏡を壊れるほどに強く握り締め。

駄目、だ撃てな、い

ライフルを下ろしたジュリオの言葉を耳にした瞬間、ベルナルドはきつく両眼を閉じた。失望とそれを遥かに上回る強烈な安堵感。内心を面に出さないようにしながら、ベルナルドは口を開く。

もういいジュリオ」

ジュリオが逡巡している間に双眼鏡の中の二人は、丘を越えていた。もう、ウッドブリッジにCR:5ではない組織の縄張りに入ってしまっている。よそのシマで事を起こせばそちらの組と揉め事になるのは必定で、屋台骨にガタが来ている現状でそれは歓迎されることではなかった。無論、その理由の内の何割かは単なる言い訳に過ぎなかったが、仲間全員の見解が一致したことに、ベルナルドは密かにため息を漏らす。
これでジャンを殺さずに済んだ。今後のことを考えれば頭は痛むが、それでも目先の苦難を一つ回避できた問題を先送りにしているだけだという自覚は大いにあることを素直に喜ぼうと。そう、考えて。未だ手放せずにいる双眼鏡を小さくなっていくジャンの後姿を見えなくなるまで眺めていたいと、覗き込むその景色の中で。

切り取られた円の中で、二人の影が重なって。互いを食い合うように一頻り貪り合った後。離れていく唇を視線で追いかけるように男を見上げたジャンは、ひどく幸せそうに、笑った。

は?」

(今のは、何だ?)

優秀な頭脳を持ってしても、たった今己が目にした光景を処理しきることができず、ベルナルドは呆然自失の態で間抜けな声を漏らす。

「どうした、ベルナルド」
「いや、な、何でも、ない
「何でもねぇって顔じゃねぇんだよ、このコッパゲ」
「本当に、何でもないんだ気にしないでくれ」

逃亡者の姿を肉眼で追う他の三人には見えていなかったらしいことに何故か安心しつつ。ベルナルドは荒々しく鳴り響く自分の心臓の音こめかみまで脈打つような嵐のごとき騒音に、唇を噛み締めて耐えた。

(どうしていつから

二人が唇を重ねていた時間は決して長いものではなかったが、遠目にも見て取れるほどの貪り尽くすようなそのキスは、彼らの間に存在する肉体の交わりを容易に想像させた。キスの後、男を見つめるジャンの視線が愛しいものを見つめるように柔らかく細められたそれが、ベルナルドの想像を後押ししていた。長年傍にいた自分ではなく、ほんの二、三か月前に出会ったばかりの男がジャンを抱いたのかと。そう考えた瞬間、足元が崩れて落ちていくような錯覚に囚われる。
ベルナルドの脳裡に蘇るのは、ジャンと最後に交わした電話越しのやり取りだった。あの日、かつてと変わらぬ口調で〝ダーリン〟と呼んでくれたその口で、他の男に口づけて愛を語るのか、と。

離れていく行って、しまう

あの時、マジソンでジャンを待てなかったのが全ての原因なのだろうか。それとも、もっと以前に戒律も何もかもを無視して手を伸ばして掴み取ってしまえば良かったのか。いくら考えても答えの出ない問いにベルナルドは歯噛みして。

「今度は、こちらが全部頂くさ。全部

軋るような声で、そう、口にする。
奪われたのならば、奪い返す。離れていったのならば首に縄をつけてでも引きずり戻す。逃げ出そうとするのであれば手足を繋いで閉じ込める。自分以外の者を見るのであれば視界を奪い、自分以外に愛を囁くのならば声を奪ってしまえばいい。

待って、いてくれジャン

だが、全てを奪い尽くした後に、自分の隣で。ジャンは先ほどの双眼鏡の中に見えたような、あの甘い笑顔を見せてくれるだろうか、と。己の内に湧き起こった疑問の答え既に手にしているはずのそれを雪原に放り投げ。遂に見えなくなってしまったジャンの姿に背を向けて。再び吹雪き始めた雪道を街へ向かって、ベルナルドは歩き出した。

山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば