ドク、ドクと規則正しく鳴り響く、太い血管が血液を全身に巡らせる音。厚い胸板にぴったりとくっつけた俺の耳から鼓膜へと直接流し込まれるようなそれは、普段よりも少しだけ速い。こいつの生きている証。今この瞬間、世界中で俺だけが聴くことを許されている特別な音楽。瞼を伏せてその音色に浸っていると、汗ばんだ互いの肌が吸い付き合って、そこから溶けて混じり合うような心地になる。
「ジャン……」
腹の奥から響いてくるような低い声に名前を呼ばれて、俺は閉じていた瞼をゆっくりと開いた。胸に耳をくっつけたまま首を捻って見上げると、吐き出してもまだ収まらない熱を湛えた銀色の瞳に出迎えられる。大きな手が俺の顎を掬うように持ち上げて、噛み付くような深いキスが降ってきた。さっきまでの、俺の全部を奪いつくすみたいなキスとはちょっとだけ違う。溢れんばかりの愛情と慈しみに満ち、互いの存在を確かめ合うかのようなキスだった。
「ジャン、ジャン…………」
「ん、あ――ばく、しー」
触れ合う唇の柔らかさ。絡め合った舌の熱さ。啜り合う唾液の甘さ。互いの全てを余すことなく味わい尽くすみたいにしながら、口内を舌で探り合う。
背中の下でスプリングが軋む音がして、初めて、いつの間にか体勢が入れ替えられていることに気づいた。ああ、押し倒されちまってるな、と思ったタイミングで、バクシーの顔がゆっくりと離れていく。
「ジャン……綺麗だ……俺の、俺だけのもん、だ……」
カーテンの隙間からわずかに入り込んでくる月の灯りだけが頼りの部屋の中。だが、暗さに馴染んだ俺の目は、薄暗がりの中でもバクシーの視線を――狂おしいほどの慕情を伝えてくる、熱に満ちた銀の双眸を、はっきりと捉えていた。
俺の顎を支えていた手がスイと動かされて、左の頬をやんわりとなぞるように撫でてくる。虫を殺すよりも容易く他人の命を奪うことのできる、凶器のようなその手が、俺に触れる時には信じられないほど優しくなる。そのことを自覚するたびに、俺の胸は尋常じゃない苦しさを訴えてくる。
(可愛い、可愛い――俺だけの)
「バクシー。俺の、バカちんぽ」
ありったけの愛しさを込めて囁きながら、俺からも手を伸ばし、こちらを見下ろしている野郎の頬にそっと触れた。バクシーは俺の掌に頬擦りするみたいに少しだけ首を傾げ。それから、俺の脚を抱え上げる。さっきまで野郎のデカチンを捩じ込まれていた俺のアヌスに、再び熱の塊が押し当てられた。
既にお互い数回は出したあとだが、止める気にはならない。何といっても二週間ぶりの逢瀬だ。明日の朝にはまた、しばらくの間離れ離れになることも確定している。
俺が腹筋に力を籠めるタイミングを見計らったみたいに、バクシーが腰を進めてくる。さっきまでの行為の名残で綻んでいるそこを、味わうみたいにゆっくり押し広げられる感触。
「あ、バカ、焦らすな――ッ」
思わず声を漏らした俺に覆い被さるように上体を倒してきたバクシーが、耳たぶに熱い息を吹きかけるみたいにして囁く。
「ジャン……俺の、ジャン……お前の全部が欲しい……俺も、全部、お前のもんに、してくれよ」
快感に上擦った掠れ声に乗っかっているのは、欲望だけじゃなくて。切羽詰まったような、何かに怯えるような、哀願の響きを帯びた声色。俺は言葉で応じる代わりに、伸ばした両腕でバクシーの太い首を抱き寄せた。
◇ ◇ ◇
「ジャン、お前、怪我でもしてるのか」
窓の外を流れていく景色を見るとはなしに眺めやっていると、向かいに座っていた親父が不意に声をかけてきた。問われた内容に一切の心当たりがなかった俺は、戸惑いながら応じる。
「エッ、何で? 別にどっこも痛くねぇけど」
「さっきから何度も同じ場所を手で押さえているように見えるが」
言われて、自分が無意識に胸の辺り――心臓の位置を押さえていたことに気づいた俺は、慌ててその手を離しかけ――思い直して、そのままにする。余りにあからさますぎる反応は、逆に親父の疑念を強めるだけだろう。
「あー、ちっと虫に食われたぽくて何か痒いなぁって思ってたとこ」
「そうか」
俺の返事に納得したのか、親父は一言だけ返して、再び新聞へと目を戻した。俺は胸を押さえる掌に滲んだ冷や汗をシャツに擦りつけるようにして拭い。その下に潜んでいるはずの、キスマーク――俺の心臓の位置に刻まれた所有印に、そして、それをつけた男へと思いを馳せる。
(バクシー、あのカボチャ野郎め……)
服の上から見えない位置になら痕を残してもいいと言ったのは他ならぬ俺自身なのだから、バクシーからしてみたらとんだ言いがかりだろうが。己の心の平穏のためにしばし犠牲になってもらおうと、頭の中の恋人に罵声を浴びせる。脳裡に浮かぶのは、野郎の得意げなしたり顔だ。
だがそれもすぐ、今朝、別れ際にバクシーが見せた名残惜しそうな淋しげな表情にすり替わってしまう。
(今生の別れ、ってわけでもねぇのに、あんなツラしやがってあの野郎……)
「……何か悩みでもあるのか」
何の前触れもなく空気を震わせる、低い問いかけ。新聞に向けられていたはずの親父の視線が、いつの間にか再び、俺を射抜くように見つめていた。
(あぁ、カッツォ……)
再び掌に汗が滲み出すのを感じながら。俺は、この列車が目的地に着くまでの残り時間――軽く、二〇時間近くある――に思いを馳せ。胸よりも胃を押さえたい気持ちでいっぱいになった。