朝、目を覚ましたジャンはベッドの上で軽く伸びをしてから、窓辺に置かれた鉢植えへと歩み寄った。土の表面を軽く撫でるように指先で触れ、まだ十分に水分が含まれていることを確認する。今日は水を遣らなくても大丈夫だと判断すると大きな欠伸をひとつ。それから、クローゼットを開けて服を取り出した。
「今日はオフ日~」
鼻歌を歌いながら私服に着替えると、朝食を取るために部屋を後にする。主の出て行った部屋の中で、鉢植えの蕾が微かに揺れた。
◇ ◇ ◇
部屋に戻ってきたジャンは、本棚の一列を丸ごと抜き出して両腕に抱え、ベッドまで運んだ。次の休みには一日中ベッドに籠ってお気に入りの漫画を読もう、と心に決めていた男は、いそいそと布団の中に潜り込む。脇に置かれた本を一冊手に取ると、それをパラリと開いて読み始めた。最初は流し読むようにページをめくっていた手が止まり、次第に物語へと没頭していく。
長い金色の睫毛を伏せた横顔を、窓から差し込む陽光が優しく撫でていた。
「あー……そろそろ腹減ってきたカモぉ」
パタン、と本を閉じたジャンはベッドの脇に置かれた時計に視線を向ける。時刻は間もなく正午を迎えるところだった。
「食堂で何か食わせてもらおっかな」
言いながらベッドから脱け出したジャンは、ふと窓の外に視線を向けた。秋晴れの空が高く広がっている。どこまでも鮮やかな青い空に浮かぶ繊維状の雲を見上げ。
「こんないい天気なのに一日中部屋に籠ってるっつーのももったいねぇかなぁ……」
悩ましげな声を上げて視線を室内へ戻そうとしたジャンは、ふと、何かに意識を引っ掻かれて動きを止めた。そのまま、ゆっくりと巡らされた視線が一点に据えられる。
窓際に置かれた鉢植えの中で、青紫の花が綻んでいた。
「――――……」
ふらり、と。何かに導かれるように窓際へ歩を進めたジャンは、ひっそりと咲くリンドウの花に右の手を伸ばす。指先に触れる柔らかな感触を味わうように、花びらの表面を一度だけ撫で。そうして、ジャンは静かに瞼を伏せた。眼裏を男の面影が過る。この花が咲く姿を初めて一緒に見た時のその表情を、今もまだ鮮明に覚えていた。
眩しそうに細められた銀色の双眸を。向けられる熱の籠った視線を。嬉しげに上気した頬を。
――心が繋がったと、思えたはずの瞬間を。
今はもうこの部屋を訪れることのなくなってしまった男の面影を記憶の片隅にそっと追いやり、ジャンは窓の外へと視線を向ける。千切れた雲が風に流され、消えていった。