クリスマス・イヴの昼下がり。CR:5の二代目ボス、ジャンカルロは古巣である聖リタ修道院を訪れていた。翌日、孤児院で開催されるクリスマスパーティにて子供たちに配布されるお菓子のギフトボックスを届けるためだ。マフィアのカポが自ら務めるような役目ではないはずだが、院長直々の御指名とあっては断るわけにもいかない。彼女の真の目的は届けられる菓子そのものではなく、手のかかる――だが、誰よりも大切な息子の顔を見ることである、という事実を幹部会の誰もが理解していた。無論、当の本人であるジャンは言うに及ばず、である。
そうして訪れた息子を出迎えた院長、シスター・テレサは、いつも通りの謹厳な態度を崩さず、開口一番苦言を呈した。
「何ですか、そのだらしのない格好は。ネクタイが曲がっているじゃないの。それで神の家に入ろうというのですか? 服装の歪みは精神の歪みと言うでしょう」
「ア、はい……」
一年の中でも最も忙しい年末年始のこの時期、CR:5の上層部は寝る暇もないほどに働き詰めである。スケジュールをぎゅうぎゅうに詰め込んで聖リタ修道院を訪問する時間を捻出したジャンは、本部から修道院へと移動する車の中で仮眠を取っていた。その際に緩めたネクタイを元に戻すのを忘れてしまっていたことを院長からの指摘でようやく思い出す。だが、そのような言い訳をしたところで、それならば仕方がないと言ってくれるような相手でないことは百も承知だ。むしろ、言い訳をするなど見苦しいとか、忙しい時ほど身形に気を遣え、などと更なるお小言を言われかねない。場合によっては躾用の鞭が飛んでくる可能性すらあった。そんなわけで、ジャンは反論することもなく、無言のままそそくさとネクタイを締め直した。そんなジャンの姿を見たテレサは満足そうに頷き、自分の後ろに控えていた二人の修道女を振り返って目線を送る。ボスの視線を受けた修道女たちは音もなくスッと前に進み出て院長の両脇に立った。
「子供たちへの寄贈品については、この二人の指示に従ってもらえるかしら」
「へーい」
「返事は〝はい〟ですよ」
「はいはいはーい」
「はい、は一度で十分です。まったく、あなたときたらいつまで経っても子供みたいな」
「ハイ、マンマ……」
「搬入はそこのデカブツ二人がいれば手は足りていそうね。あなたはこちらへいらっしゃい」
唐突にデカブツ呼ばわりされたカポの護衛を務める二人が面食らったような表情になった。そちらに向けて目線と手振りで謝罪を示し、ジャンは院長に促されるままに建物の中へと足を踏み入れる。この先に待っているのは、院長先生のありがたい〝お説教〟タイムだ。聖書に基づいて行われる訓戒や教導もジャンにとっては退屈なことこの上ない無用の長物だが、これから始まるのは、更に厄介な代物。ヤクザ者となった息子に対する、母からの生活指導だ。
(あー、こんなことなら本部で山積みの書類にせこせこサインしてる方がよっぽどマシだったぜ……)
院長の背を追って歩きながら、小さくて可哀想なカポは心の中だけで肩を竦め――何せ、彼の育ての母ときたら背中に目がついているのかと思うほど鋭いのだから――嘆いてみせたが、そんな内心とは裏腹にジャンの口許は小さく笑みの形に緩んでいる。大人になろうがヤクザになろうが、変わらず彼を〝手のかかる子供〟として扱う母との時間を、結局は彼も満更ではないと思ってしまっているのだ。
◇ ◇ ◇
「なーんて思っていた時期が俺にもありました」
「何ですか、いきなり訳の分からないことを言い出して」
「イエ、ナンデモナイデス」
己の護衛と小一時間ぶりに顔を合わせたジャンは、遠い目をして何事かを呟いた。聞き取れなかった内容を護衛たちが問うより先に、それを聞き咎めた院長が声を上げ。それに対してジャンが両手を振って何もかも無かったことにしてくれ、と言外に告げたおかげで全ては有耶無耶になってしまう。
「あー……おまいら、肉体労働ご苦労さん」
護衛たちが待機していた部屋へと足を踏み入れたジャンは、その部屋の様子に目を瞬かせた。明日のパーティに使われると思しきその部屋には、様々な装飾が施されている。高い天井からぶら下げられた紙の鎖や天使のオーナメント。壁や窓に貼られている紙を切り出して作った雪の結晶に、近所で拾ったモミの枝や松ぼっくりで作ったと思しきリース。女手だけでは持ち上げるのも難しそうな重たそうな飾りが天井の梁近くに据え付けられている。どうやって運び込んだのかと思うような大きさの――六フィートを超える生木のツリーにはシスターたちのお手製だと思われる靴下がいくつもぶら下げられ、天辺にはベツレヘムの星が輝いていた。それらを見上げたジャンは、持ってきた貢物を運び込むのみならず、パーティ会場の飾りつけにも自分の部下たちが駆り出されたことを悟り、労いの言葉を口にした。
「こりゃガキ共も喜ぶぜきっと。ありがとうな」
屈託なく笑うボスの姿に、護衛たちは恐縮しながらも顔を綻ばせる。だが、すぐにその笑いが凍りつくような冷たい声が発された。
「ガキ、なんていう品のない言い方はおよしなさい。いつまでチンピラの気分でいるんです」
ぴしゃり、叩きつけるような言い方に、ジャンも護衛も笑顔が固まってしまう。凍りついた場の空気をジャンが取り繕おうとするよりも先に、テレサは更なる言葉を発した。
「ジャン……ジャンカルロ。また、顔をお見せなさい。ここは、あなたの家なのだから」
「ああ、分かってるよ、マンマ……」
今日こそはビシッと言ってやろうと――俺はあんたの御用聞きじゃねぇんだぞ、とか、そういった類のことを――思っていたジャンは、だが、結局何も言えないまま口を噤むことになる。結局のところ、彼もイタリア男の常として、母には――己に向けられる損得勘定のない、無償の愛情には、弱いのだ。
◇ ◇ ◇
聖リタ修道院を辞したジャンは、乗ってきた車に戻ろうとしていた足をふと止めた。彼の前後を挟むように歩いていた護衛たちも同じように歩みを止め、何事が起きたのか、と彼らのボスの顔色を窺う。部下たちの視線に晒されたジャンは少しだけ疲れたような顔で天を仰ぎ、目を閉じて数秒間、無言で呼吸を繰り返した。
本来であれば、このあとジャンは本部に戻り、ベルナルドの手伝いをするつもりでいた。当のベルナルドは、そのまま身体を休めるように、とジャンに言ってくれていたが。調整しきれなかった分の仕事を引き受けてくれた筆頭幹部へせめてもの罪滅ぼしをしようと、そう考えていたのだ。だが、今になってやっと、己自身よりも遥かにジャンのことを――彼と、彼の母代わりの女性の関係を、ベルナルドが理解していたことに気づく。
(なーんか気力を使い果たしちまったカンジ……こりゃ戻っても仕事なんて手につかねぇな……)
ベルナルドには悪いが、彼からの申し出をありがたく受け入れることにしよう、と考えたジャンはゆっくりと瞼を上げた。ぼんやりと空を見上げたまま、唇を殆ど動かさずに声を発する。
「お前ら、先に戻っててくれるか? ちょっと一人で歩きたい気分なんだ」
「カポ……それは、さすがに…………」
「カポを一人にしたら隊長たちに怒られます」
想定通りの反応に、ジャンは両の掌を合わせて拝むように頭を下げた。
「この辺をちょっと歩いたらすぐに戻る。絶対危ない真似はしねぇって約束するから、頼むよ。な?」
縋るように護衛を見上げるカポの顔色は優れず、疲労が色濃く滲んでいる。今日のために彼が無理を推していたことを知る部下たちは、院長から長時間に及ぶ説教を受けたと思われるカポに一方ならぬ同情を寄せていた。躊躇いと迷いの滲む護衛たちの表情を目にして、あと一押しで彼らを説得できると踏んだジャンは、さらに言い募る。
「こっから通り二本行ったとこに俺のハイドアウトがあるの、知ってるだろ? この辺を少し散歩したら、あとはそこで休むさ。だから三時間後に誰か寄越してくれよ。それならいいだろ? ……時間が、欲しいんだ」
「…………絶対に、ここから通り三本以上は動かないでくださいよ?」
「もちろん! ぜってぇ約束するって」
念を押すような護衛の口調に、ジャンはここぞとばかりに従順さを装って頷く。だが、早く解放されたいと願うカポの期待を裏切るように、護衛は言葉を重ねた。
「カポのお言葉を本部に伝えたらボンドーネ隊長が迎えに行く、と仰るかと」
「――ジュリオが? あいつが来てくれるんなら願ったりだけど、そんな暇ねぇだろ?」
「今日はこの訪問のあとカポがお休みになると知って、幹部の皆様方も仕事の調整をなさったんです」
「フィオーレ隊長とグレゴレッティ隊長はどうしても外せない予定があると悔しがっておられましたが……」
「ベルナルドは俺が仕事を押しつけちまったしな。ジュリオだけが上手いこと調整できた、ってワケか」
疲れたように言うジャンへ、護衛たちが無言で首肯する。ジャンは苛立ちを押し殺した細い息を密かに吐き出すと大きく頷いて。
「じゃあ、ジュリオには手間かけて悪いけどよろしく頼むって言っといてくれ」
へらりと笑ってそう言うと、護衛たちに背を向けてハイドアウトのある通りの方角へと足を向けて歩き出す。そのカポの背中に、焦ったような護衛の声がかけられた。
「カポ! その……ハイドアウトまでご一緒させてはもらえませんか」
「……すまねぇな。少しばかりこの辺りをぶらつきてぇんだ。――独りで、な」
肩越しに振り返って困ったように笑ったジャンの言葉に、護衛たちは互いに短く視線を交わし合う。彼らのカポは決して暴君ではないが、一度心に決めたことは決して譲ろうとしない頑固さも持ち合わせていた。一体どのような言葉を以てすれば彼が折れてくれるのか、護衛たちには見当もつかない。
「……ですが、もしも万が一のことがあったら……」
「何も起きねぇよ。自分で起こす気も、誰かに起こさせる気も、ねぇ。マンマに小言食らったばっかで何かあったら、俺はあのゴリラに今度こそ絞め殺されちまうぜ」
大袈裟に肩を竦めてみせるジャンに、護衛は一瞬笑いそうになった表情を慌てて引き締める。彼の女傑をゴリラ呼ばわりするジャンに同意したことが知れれば、彼の命こそ危ういかもしれなかった。そんな護衛の様子に、自分の部下ながらいい判断をしている、とジャンは内心で感心する。
「……本当に、三時間後にはハイドアウトにいらっしゃるんですよね?」
「もちろんだ。約束は破らねぇよ。俺は信用のならねぇ男か?」
「そんなことは……滅相もありません。ただ、カポが約束の時間にそこにいらっしゃらなければ、我々は隊長たちに殺されますので」
「ハハ、間違いねぇな。大丈夫、お前たちを無駄死にさせるつもりはこれっぽっちもねぇよ」
からりと笑い、ジャンは部下の不安をかき消すかのように、腕を大きく広げてみせた。
「俺の足取りは、ここから通り三本以内。ちっとうろついて満足したらハイドアウトにしけ込むし、そしたら迎えが来るまではそこから一歩も出ねぇ。さっき祭壇でお目にかかったマリア様に誓うから、お前らも安心して本部に戻っとけ」
ボスの言葉に護衛たちはもう一度だけ視線を交わし合い、それから観念したように頷いた。
「分かりました。では、三時間後に迎えを寄越します」
「これからの時間帯は寒さが強くなってきます。雪も降るかもしれませんので、お気をつけて」
「おう、お前らも気をつけて戻れよ」
どちらの表情にも諦念が色濃く浮かび、カポを引き止める言葉はそれ以上出てこない。それに満足したジャンは顔の脇で手を軽く振ってみせ、それから護衛たちに背を向けてゆっくりと歩き出した。