係員の誘導で乗り込んだ白いゴンドラは六人ぐらいが乗り込めそうな広さで、そのゆとりのある空間に、俺の胸には何故か違和感が生じた。
(何つーか、もっとこう、向かい合って座ってる相手と膝小僧がくっついちまいそうな感じの狭さだった気がしてたんだがな……)
だが、この観覧車自体には以前にも乗ったことがあって、今乗っているこのゴンドラはその時と同じ代物だ。違うと言えば色ぐらいのもんで、その事実は間違いなく俺の記憶にきっちりと刻まれている。それなのにどうしてそんな勘違いをしちまっていたのか。
(他の乗り物の記憶が入り混ざってごっちゃになっちまってんのか……?)
「うひょー、たけぇたけぇ!!」
もやもやとする胸の裡を宥める俺の目の前で、窓から外を眺めていたバクシーが歓声を上げる。ちなみに、ゴンドラに乗り込んだ直後から、野郎のデカい手は俺の手をきっちりと握り締めて指まで絡めているという念の入れようだ。その手が興奮したように振り回される。高度が上がるにつれてバクシーのテンションはどんどんと高くなっていくようで、そのガキみたいな姿に、俺は抱え込んだ違和感のことを忘れて思わず吹き出した。
「ナントカと煙は高い処に昇りたがるって、アレだな」
すっかり上機嫌で鼻唄まで歌い始めたバクシーの横に並ぶみたいにして、俺も外へと視線を投げる。広々としたテーマパークの敷地と、アトラクションの間をアリみたいに行き交う人の群れ。ビーチにいくつも立てられているパラソル、その下でくつろぐ肌色の人影は砂と一体化して見えるほどに遠い。そして、奥に果てしなく広がる碧い水平線。
ワンダー・ホイールから望むその景色に、ふと記憶の片隅を引っかかれたような心地になった。
(こんな風景、だったっけか――?)
眼下に広がるそれは、以前にこの観覧車から眺めた景色とほぼ変わりない。正確を期するなら、前に乗ったのは赤いゴンドラだった――今乗っている白いゴンドラはフレームに固定されているが、赤と青は傾きに合わせてレールの上を滑って移動するので景色の他にスリル感も楽しめる仕様だ――から見え方は多少異なってはいるはずだが、そんなのは誤差の範疇だろう。当時の記憶をなぞってみても、俺が見た風景と目の前の光景に大きな違いは、ない。
そのはずなのに、心の中で誰かが――何かが、これは違うと叫んでいるような気がしちまう。
「――窓に落書きはしねぇの?」
意図せずぽろりと口から零れ落ちた俺の言葉に、バクシーが不思議そうな顔で振り返る。
「窓――って、このゴンドラ、窓なんかついてねぇべ?」
「そ、うだった、な――」
我ながらとぼけたことを口にしちまった。バクシーの言葉通り、確かにこのゴンドラには窓がない。枠だけでそのまま素通しだ。今の季節はいいが、もっと気温の低い時季であれば防寒が必要になるだろう。そんなことをぼんやりと考える俺の脳裡に、吹きかけた息で曇った窓に鉤爪のような指先が何かを描いているビジョンがフラッシュを焚いたみたいに挿し込まれた。
(――何だこれ……頭が、痛ェ……)
互いの膝がくっついちまいそうに狭いゴンドラ。曇った窓に描かれた謎の落書き。ガキの殴り書きみたいな紙切れ。カメラを構えたバクシーの姿。存在するはずのない記憶が俺の頭の中を明滅しながら駆け巡る。
「ジャン、どうしちまったんだよ……ジャン? なぁ、ジャンって」
気づくと俺はバクシーに両肩を掴まれて揺さぶられていた。いつの間にやら閉じてしまっていた瞼をこじ開けると、俺を上から覗き込む、ひどく不安そうな銀色の双眸と視線がぶつかり合う。
「あ……俺、何……?」
「ジャン、気分でも悪いんけ? 高いとこがダメ……ってことはなかったはずだよな?」
「ああ……いや、悪い……ちっと寝不足だったんかな。一瞬、クラッとしただけだわい」
誰にも言ったことはねぇが、こいつといると時々、こんなことがある。存在しないはずの記憶が、途方もないリアルさで――景色や声色、匂いまでもがまざまざと蘇るような現実味を以てどこからともなく湧き上がってくる。それが一体何なのか、どんな意味があるのか。俺には分からないし――正直に言っちまえば分かりたくもないと思っている。
誰にも言ったことがねぇのは、それを口にしたら何かが変わっちまう――そんな予感がするからだ。こんな記憶は無かったことにしちまいたい。いつだってそれが俺の願いだった。
「けどよぅ、ジャン……」
「大丈夫だっつってんだろ! んなことより!!」
まだ不安そうな目つきのまま何かを言い募ろうとするバクシーの服を掴んで引き寄せる。逆らうことなく近づいてきた野郎の顔に自分の顔をグイッと近づけて。今にも唇が触れそうな距離で、野郎の鼻先に吐息を吹きかけながら。
「――キスは、しねぇの?」
さっきお前が自分で言ってたじゃねぇか。そう囁いてやると、バクシーが唾を飲み込んだらしい音が、ごきゅり、とゴンドラの中で大きく響いた。
「お、ぅ……その……いい、んけ?」
いつもいつも、俺の制止なんて差し挟む隙すらなく発情期の犬みてぇに盛って飛びついてくるくせに、変なタイミングで急に臆病になるのがこの野郎のどうしようもなくダメで――腹が立つほど可愛いところでもある。俺は返事の代わりに、目の前にあった野郎の唇に自分のそれでそっと触れてやった。
ただ、表面を触れ合わせるだけ。互いの熱と唇の柔らかさがじんわりと伝わってくる、それだけの接触。そんな状態のままゆっくりと視線を上げると、狂おしい程の熱を湛えた銀色の瞳に捕まった。
「ハァ、ジャン……」
俺の身体を囲うように背後へ回されたバクシーの手が、後頭部と背中に宛がわれて、力強く抱き寄せられる。その力に逆らわず身を委ねると、バクシーの太腿を跨ぐ形で膝の上に抱き上げられた。深く合わさった唇の隙間から舌が入り込んできて、俺のそれを絡め取ってじゅるじゅると音がするほどに吸い上げられる。
「ん、じゅ……ジャン、好き、すきだ……」
唾液の混ざり合う淫らな水音。遥か遠い地上から風に乗って微かに届く陽気な音楽。ゴンドラの連結部分が立てる軋み音。それら全部を掻き消すような、熱い吐息混じりの濡れた囁きが俺の鼓膜から入り込んで、腹の奥を疼かせる。
「ん……ッ、は……」
バクシーの首に縋るように巻きつけた腕を動かし、後頭部の髪の間に指を差し込んで掻き混ぜるように撫で回しながら。俺は腰を――もうすっかり硬くなっちまっている勃起を、脚の間に挟んだバクシーの太腿に押し付けた。
「――――ッ!!」
その瞬間、バクシーは灼けた鉄を押し当てられたみたいにビクリと跳ねるように震え。俺の背中に宛がわれていた手がもぞりと動いたかと思うと、シャツの隙間からするりと入り込んできて素肌を撫で上げる。
「ん、ふ……ぁ……ッ」
「クッソォ、ドスケベすぎんだろぉ……ヤりてぇぇ…………」
擽ったいと紙一重の絶妙な心地良さで肌の上を滑っていく手の動きに身を捩りながら声を上げると、合わさった唇の間から軋るような声をバクシーが漏らした。俺は野郎の、ギョッとするぐらい長い犬歯を宥めるように舌先で舐め、俺と同じようにすっかり硬くなっちまってる勃起を防刃パンツの上から掌で撫でさすりながら。
「此処を出たら……な?」
誘うように囁いてやると、バクシーの喉がグルルと獣じみた唸り声を上げ、掌の下で馬鹿ちんこがびくりびくりと蠢くのが分かって、俺の喉から低い笑い声が漏れる。
「クソァー、俺の恋人がエロすぎる……最高……今すぐにでも出ちまいそうだってェ……」
「カーヴォロ、降りる時に匂いでバレちまうだろうが。我慢しろっつの……つーか、今の時点でも既にヤベェ匂いがしてきてる」
此処が閉ざされた密室であれば隠しようもない匂いが籠っちまって、次に乗る客を困惑させることになったに違いない。このゴンドラに窓がなくて助かったな、と笑い合いながら。地上に着くまでの残り僅かな時間、俺たちは飽きることなくキスを交わし続けた。