無印世界線でのジャンさんとバクシーのお話。

Lemon - 2/5

16,629文字 / 約19分
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デイバンでの邂逅

ほんの数ヶ月前までは単なる下っ端のチンピラに過ぎなかったジャンにとって、現在のように一挙手一投足を見守られているかのごとき生活は息が詰まる。今の己の立場は充分に分かっているつもりだが、たまにはいつもと違う店で一人きりでプランゾを楽しむぐらいは許してほしい。
そんなごく軽い気持ちで、常にぴったりと身辺に寄り添おうとする番犬がいない隙を狙って一人歩きに飛び出したカポは、すぐに己の認識の甘さを痛感することとなった。
しばらく前にGDの勢力を軒並み追い出したおかげで一時期と比べると格段に平和で穏やかな空気に満ちたデイバンの街の外れにて。自ら転がしてきた車を降りたジャンは急に太陽が翳ったことに気づきそれが雲のせいではなく、電柱のように背の高い男の身体によってもたらされたものだと理解した次の瞬間にはその身を翻して走り出していた。
車に乗って逃げようとすればドアを開けている隙に捕まるのは確実だったし、運良く乗り込むことができたところで相手の得物に問題があった。象撃ち用のショットガンなどぶっ放された日には車ごと吹っ飛んで終わりだ。的が大きくなるほど命中率は上がるのだから、この男GDの幹部、バクシーを相手にする際に車に乗って逃げるのは悪手だとしか言いようがない。そう考えたジャンは、自らの脚でひたすら全力疾走するほかなかった。

「ヒャッハー! ドギィちゃんは追いかけっこがしたいのけ? いいねぇいいねぇ、ほれ、頑張って逃げねぇとすーぐ捕まえちまうぜぇ」

クソ、あの野郎、生きてやがったとは

以前の抗争でジャンが最後に見た時、バクシーは腹部の中央を銃弾に食い破られて大量の血を流しながら地面に倒れ伏していた。口からも血を溢れさせたその姿に致命傷だと確信したのはそれほど昔のことではないというのに、今ジャンを追いかけてくる男はどこにも怪我の影響を感じさせない。抗争の際に嫌というほど思い知らされたバクシーの戦闘力もさることながら、不死身なのかと疑いたくなるような生命力に、ジャンは恐怖すら覚えながら懸命に脚を動かす。
だが、ジャンの必死の逃走劇はそう長くは続かなかった。

「つーかまーえたァ」
「わ、あ、あぁ!?」

背後からぬっと伸びてきた長い右腕に上半身をホールドされ、勢い余って前のめりに倒れ込みかけたジャンの身体が一瞬宙に浮く。そこをすかさず片腕で抱え込んだバクシーは、自分より一回り以上も小さく見える背中を己の胸板にぐっと引き寄せた。互いの身体がべったりと触れ合った場所から沁み込んでくるような相手の体温に、天気がいいからとジャケットを置いてきたことを後悔するジャンの耳元で。

「パピィよう、一人でお散歩とは不用心もいいとこだナァ?」

嘲るような声色がねっとりと語りかけてくる。その近さと温度にジャンは鳥肌を立てて身体を震わせた。

「テメェが生きてるとは思わなかったんでな
「勝手に殺すなよぅ、つれねぇなぁ。また会えて嬉しいワ、くらい言ってくれてもバチは当たんねぇぜ?」
「ファンクーロ、テメェのツラなんぞ二度と見たくなかったっつーの!」

吐き捨てた瞬間、バクシーの腕にグッと不自然な力が籠ったのが伝わってきて、ジャンは眉をひそめる。ジャンを拘束する力が強まったわけではなく、敢えて言うなら何かの衝動を堪えた時のようなその反応。それが何に起因しているのか分からないまま違和感に首を傾げるジャンの頭上で、バクシーの表情がわずかに動かされる。背後から抱え込まれた状態のジャンには見えていないが、もしも正面から向き合っていたらジャンにも間違いなく捉えることができていたに違いない。
微かに歪められた、痛みを堪えるようなバクシーの表情が。

そうかよ」

ポツリ、零したバクシーの腕の力が不意に緩んだ隙を見逃さず、ジャンはすかさずその腕の中から脱け出して地面に降り立った。振り返って見上げた大男の顔には既に何の感情も浮かんではおらず、ただ、今し方までジャンを拘束していた長い腕が巨躯の横で行き所を失ったかのようにだらりとぶら下がっている。
どういうつもりなのかと問いかけようとしたジャンは、どうせこのキチガイからまともな返事など返ってくるはずもないと思い直し。代わりにバクシーの背後へと視線を流して驚きに目を見開いたふりをする。釣られたように背後を振り返ったバクシーがそこに何もないことを視認した時にはもう、ジャンの身体は再び駆け出していた。
自分から逃げ去っていく背中へと思わず手を伸ばしかけたバクシーは。己の脚力ならまだ追いつける距離だと、そう思いながら、それでも追いかけることはせず、ただゆっくりと拳を握った。そうして、再び痛みを堪えるような表情を浮かべて小さくなっていく背中を見送る。

「生きててくれるなら、それで、いい

今でもバクシーの脳裡に焼きついている、ジャンの最期。自分の目の前で糸の切れたマリオネットのように雪の上に崩れ落ちた愛しい恋人の姿。血に染まった金髪。光を失った金色の瞳。
肺が焼ききれそうなほどに走って、走って、それでも敵に指一本触れることもできずに雪の上に倒れ伏した自分。雪が体温を奪っていくスピードよりも更に速く己の命が失われていくのを感じながら目を閉じた。
次に目覚めた時、バクシーは見覚えのある部屋のベッドの上にいた。腹部のど真ん中には覚えのない銃創があり、代わりに一生残るはずだったであろう脇腹の傷痕は綺麗さっぱり消えていた。訳が分からないまま外へ出てみれば、見慣れたロックウェルの街並みの中、焼け落ちたはずの本部ビルは以前と変わらぬ姿で建っていた。狐に摘ままれたような心地でビルに足を踏み入れたバクシーは、最上階で自分を出迎えてくれたボスからCR:5の二代目カポ就任の話を聞かされた。
幹部四人を引き連れて刑務所から華麗に脱獄してみせたラッキードッグが遂に役員会にもその実力を認められてカポの座に就いたのだ、と。
ありえない、と思うと同時に何かがストンとバクシーの腑に落ちた。

俺と一緒にいたから、ジャンは死ぬ羽目になったんか)

記憶の中ではマジソン刑務所に潜入していたはずの自分が、現実には他の刑務所でお勤めを果たしていたことが判明しても。出所後にボスの命令でデイバンまで出向いてCR:5の内部を散々引っ掻き回し、ジャンを含む幹部たちとやり合って怪我を負ったのだと聞かされても。自分の経験したジャンとのあれやそれやが夢や幻だとはバクシーは全く思わなかった。
ただ、ジャンを生かすために己の存在がジャンの人生から弾き出されたのだと、そう、考えて。

「ジャンが生きてるなら、それで、いい」

否、それが、いいのだ、と。己に言い聞かせたバクシーは。つい先刻まで腕の中にあった体温を噛み締めるように、右腕で己の身体を抱き締めて。ギュッと目を閉じて痛みに耐えた。