無印世界線でのジャンさんとバクシーのお話。

Lemon - 4/5

16,629文字 / 約19分
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カポのバースデー

その日、ロックウェルを支配するギャング団のボス、イーサンの許に一通の封書が届いた。それを手にしたイーサン直属の部下が部屋に入ってきた時バクシーはボスの座る椅子の背後に立ち、その椅子の背にだらしくなく体重をもたせかけていた。椅子に座ったままのイーサンの代わりに長い腕を伸ばして封書を受け取ったバクシーは、差出人を見て軽く鼻を鳴らす。そこには、しばらく前に休戦協定を結んだ組織の名称が記されていた。

「親父ィ、デイバンのマカロニヤクザからだじぇ」

ポイッと投げるように渡された封筒を無言で受け取り、ペーパーナイフで無造作に切り開いたイーサンは中に納められていた書状を取り出した。その背後に立つバクシーは、彼が初めてイーサンに出会った当時から比較すると些か物寂しくなった感のあるボスの頭上から、どれどれ、と文面を覗き見る。その無作法を咎める者はボス・イーサンを含めその場に存在していなかった。教科書のお手本のような文字で綴られている文章をなぞっていくバクシーの表情が、不快な臭いを嗅がされた猫のように歪められる。

「オイオイ、正気かよ。これってつまりボクたちのボスのお誕生日にパーティを開くからぜひ参加してね、ハァト。ってことだべ?」

休戦協定は確かに結んだが、決して互いの組織同士の関係が良好になったわけではない。ましてや、そもそもの関係悪化の端緒となったであろうイーサンとあちらの前ボスとの関係は言うに及ばず、である。

「ご招待されたからってのこのこ顔出したらマシンガンにお出迎えされるってオチなんじゃねぇの?」

招待状を掴むイーサンの手元を馬鹿でかい図体の背中を丸めて覗き込んだまま、バクシーは分厚い掌でボスの肩を気安く叩く。己の耳のすぐ傍で、ひゃひゃひゃ、と怪鳥じみた笑い声を上げる部下をイーサンは横目でジロリと見やった。
マフィアは面子を大事にする生き物なので、カポのバースデーパーティとなればそれなりに盛大に、関係のある組織から大物を招待して祝うことだろう。その場に、あくまで形式上とはいえ協定を結んでいる相手をGDのボスを招待しなかったとあってはこちらから相手を責める口実のひとつになる。それを避けるために出されたであろうこの招待状に、イーサンが応じるとは思われていないだろうし、参加せずに花や電報で茶を濁してくれというのが相手方の本音だろう。
そこまで考えたイーサンは、まだ笑っているバクシーの鼻先へと招待状を突き返した。思わぬ鋭さで繰り出されたそれに、珍しく不意を突かれたバクシーは避ける間もなく鼻と口を塞ぐように打たれる。

「ふがっ!?」
「お前が行ってこい」
「ハァァー!? 本気かよ親父ィ。俺が? マカロニどものお誕生日パーティーに? 耄碌するにはまだ早いじぇ」
「ボスの名代だ。まともな格好で行けよ」

『正装でお越し下さい』の一文を顎で示しながら淡々と伝えるイーサンの横顔を眺めやったバクシーは、傍からは鉄壁の無表情に見えるそこから何かを読み取り。色味の薄い眼球をぐるり動かして天井へと向け。

「はぁい、パパぁ」

両肩をすくめ、しょうがねぇなぁと言わんばかりの声色で、了承を返した。

◇ ◇ ◇

(はー、イタ公ヤクザの儀式ってのはいちいちホモ臭くってたまんねぇわな。こんなん公開ホモセックスの一歩手前じゃねぇのけ?)

煌びやかなパーティ会場の片隅。着ているというより肩に引っ掛けているだけだろうと突っ込みたくなるような普段の装いとは一転、かっちりとしたスーツに身を包んだバクシーは内心で吐き捨てるようにそう呟いて。本日のパーティの主役が彼の腹心の部下たちから祝福と忠誠のキスを受けている様子を眺めながらグラスをゆっくりと傾ける。グラスの中身は無論アルコールなどではなく単なる炭酸水だ。冷えていない常温のものを、という彼の要求に給仕は慇懃な様子でスマートに応じてみせた。戸惑いなど欠片も見せないその姿に、バクシーが些かのつまらなさを感じてしまったことは否定できない。
主催側のそつのなさを考えればバクシーの一番の好物であるコーラも用意されていた可能性は高かったが、敢えて味気のない炭酸水を選んだバクシーは。口に含んで転がしたその温い液体に余計な味が異物が混入されていないことを確認してからゆっくりと飲み下した。視線の先では、儀式を幹部たちからの誓いの言葉とキスを受け終えたジャンが、マフィアのカポに相応しいゆったりとした余裕のある笑みを会場の来客へと向けている。だが、その余裕の下に羞じらいの色が透けているのを捉えてしまったバクシーは、思わず唸り声を漏らしそうになった。

アレは、俺のジャンじゃねぇ

それはバクシーにとって分かりきった事実であり、割り切った現実のはずだったが。カポ・ジャンカルロが自分の恋人にあまりにもよく似た姿をしているせいで、彼を前にするとバクシーの脳は時折り誤作動を起こしそうになる。その度にバクシーは、記憶の中の恋人の姿をその表情や声色を思い出し、目の前にいる男との違いを確認して気持ちを鎮めている。今回もまた己の記憶を辿りながら、無意識に瞬きの回数が増えていたバクシーの鼓膜を、微かな笑いを含んだ柔らかな声が撫でていく。

「最高の誕生日だった愛してるぜ、おまいら」

幹部たちに向けられた、カポからの感謝の言葉。照れ臭さを覆い隠すためだろう、ふざけたような口調で発されたその言葉の意味がバクシーの脳内で形を成した瞬間。バクシーの目は瞬きを停止していた。

愛、してる?)

知らない響きだ、と。己の裡から言葉が返ってくる。バクシーからジャンに向けて愛を告げたことはあったが、ジャンからその言葉を与えられたことはなかった。そのことをバクシーが不満に思ったことはない、と言えば恐らくは嘘になるだろう。だが、ジャンがバクシーを憎からず思ってくれていることをバクシーはきちんと理解していた。ただ、今はまだジャンの心の中に、そういったことに目を向ける余裕がないだけだ、と。これから共に過ごしていく中で、いつか言葉にしてもらえたらそれでいい、と。そんな風に自分に言い聞かせて先送りしていたことを思い出したバクシーは。

いつか、なんて、もう二度と来ねぇ

もう二度とこの手に取り戻せなくても、想い出があれば生きていける。そう己に言い聞かせて生きている男は。始めから記憶にないものは思い出すこともできないという当たり前の現実に、ここに至って初めて気づいて。

(ジャンも言ってくれって。俺を愛してるって、嘘でも同情でもいいから、言ってくれって、言えばよかった)

どうして無理にでも強請らなかったのかと、己の胸の裡で渦を巻く後悔に苛まれ、バクシーは血の気の引いた顔を大きな掌で覆うようにして隠した。

◇ ◇ ◇

誰もいないレストルームで顔に水を浴びたバクシーは、鏡の中に映る自分の死人のような酷い形相に小さく舌を鳴らした。

「クソァなんてぇザマだ

軋るような声で漏らした悪態は口の外に出ることなく、体内で響いて内側からバクシーの鼓膜を打つ。一向に優れない己の顔色に、いっそ頭から水を被ってやろうかと考えたバクシーは。だが、その考えを行動に移すよりも先にこの場に近づいてくる他人の気配を察して弾かれるように背後を振り返った。

あ、やっぱここだったか」
ジャン、カルロ

レストルームの入口からひょっこりと顔を覗かせたのは本日の主役その人だった。何故か一人でうろついているらしい少なくともバクシーは周辺に護衛の気配を感じない男の姿に、警戒心はどこへやったのかと突っ込みたくなったバクシーだったが。その口調からどうやら用があるのはこの場所ではなく自分の方らしいと察して、より一層訳が分からなくなった。

「今日は来てくれてアリガトな」
「挨拶ならさっき済ませただろうがまだ何か用があったのかよ」

会場に現れたバクシーの姿に、幹部を含めたCR:5の人間は分かりやすく神経を尖らせて警戒心を隠そうとはしなかった。それはカポ・ジャンカルロも同様で、イーサンの名代として祝辞を述べるバクシーと向かい合う彼の顔には『コイツ、まともな言葉も話せたのか』とでも書いてあるかのようだった。挨拶を済ませたバクシーがこれで用は済んだと踵を返す際には戸惑ったような表情すら浮かべていたが、特にバクシーを引き止めることもなく黙って見送っていたジャンカルロだったが。実はイーサンへの伝言でも言い忘れていたのだろうかと考えたバクシーに、男はキラキラと輝く金色の髪の毛を揺らすようにゆっくりと首を横に振った。

「お前、会場出てく時にちょっと顔色悪そうに見えたから気になっちまってサ」

こちらの反応を窺うように、真っ直ぐに向けられる金色の視線にバクシーは戸惑いと呆れを抱いた。

(俺の顔色が悪く見えたから? 気になって? 護衛もつけずに一人で? どんだけ甘ちゃんだよ)

ジャンはバクシーの恋人であった男も優しくはあったが、この男の場合は優しさを通り越して甘っちょろいとしか言いようがない。そんな風に突き放すように考えたバクシーだったが。心配そうに自分を見つめるカポの目の中に隠しようのない警戒心が共存しているのを捉えた瞬間、初めてジャンと心の通うセックスをした日のことが思い出された。
思えば、自分の恋人も懐の深い男だったと。誇りを剥ぎ取ってレイプしてプライドを踏みにじったバクシーを殺したいほど憎んでいたはずの男を最終的には赦して恋人の座に座らせてくれるような人間だったことをバクシーはまざまざと思い返して。
自分の恋人とは全くの別人なのだと割り切ったはずの目の前のこの男が。あの日、フォードの中でバクシーに踏みにじられる前のジャンと地続きで確かに繋がっているのだということが急に理解できたような気がしたバクシーは。

バクシー?」

何かのきっかけひとつで変わったかもしれない可能性に縋りたくなる自分に絶望して。己を射抜こうとする金色の瞳から隠すように、右の掌で顔を覆うことしかできなかった。