通廊を進む看守の靴音。押し付けられた囚人番号と名前を読み上げる声。それから、独房の鍵を開ける音。単調に繰り返されるそれらの物音が次第に自分の房へと近づいてくるのをじっと待つ。毎朝変わり映えのしないルーティンワークにはいい加減飽き飽きしているが、表面上は直立不動の姿勢を保って内心の気怠さを押し隠し。そんな俺の目の前、鉄格子の向こう側に見慣れた顔がやってきた。
「――囚人番号028564。ジャン・カルロ・ブルボン・デル・モンテ」
「うっす」
いつものように俺の囚人番号とフルネームを呼んだ看守に、いつも通りの返事を返す。チラ、と俺の顔に視線を寄越した看守――ジョシュアは物問いたげな表情を浮かべながら小さく唇を開き。だが、その唇から出てきたのは。
「やあ、ジャン。昨夜はよく眠れたかい?」
「そうね。夜中に騒ぎを起こすような連中もいないし」
「――ッ」
本当に訊きたかったこととはまるで無関係であろう世間話を繰り出したジョシュアに笑い混じりの言葉を返す。俺の返事が含んでいるものに気づいたんだろう、何かが喉につかえたみたいにジョシュアが一瞬言葉を詰まらせた。
「――そりゃ、よかった」
何とか言葉を絞り出したらしいジョシュアの口の端には辛うじて笑いが引っかかっていた。俺はそれ以上は何も言わず、ただニッコリと満面の笑みだけを返してやる。そうして黙ったままニコニコと見つめていれば、隠しようのない育ちの良さの滲み出るお顔にギリギリのところで貼り付いていたらしいお行儀のいい微笑みが、耐えかねたように剥がれ落ちるのが分かった。
それっきり無言になってしまったジョシュアはジャラジャラした鍵の束で房の鍵を開けると、もう一度だけ俺の顔に何か言いたそうな視線を向け。だが、結局何も言わないままに隣の房へと行ってしまう。
〝あの日〟以来、毎日のように俺の許に寄せられる、その何かを問いかけるような――探るような視線。古株の看守や顔馴染みの囚人仲間、CR:5の構成員と思しき奴らといった、俺の経歴や二つ名をよくよく承知しているらしい連中から向けられる、その、視線。俺はその全てに取り合うことなく右から左へと受け流し、気の向いた時にだけ戯れに思わせぶりな言葉を吐き出して。だけど、それ以上には決して踏み入らせない。そんな風に周囲の雑音をやり過ごしながら、のんびりまったりスロームショライフを満喫している。
少しずつ、だが確実に遠のいていく点呼のやり取りの声。手持無沙汰に姿勢を崩してしまいたくなる欲求を堪えつつ、今日はどこで昼寝をしようかな、なんて、そんな益体もないことを考えながら。俺は点呼完了のブザーが鳴るのをのんびりと待った。
一時は地獄の様相を呈していたマジソン刑務所だったが、ここ最近ではようやく落ち着きを取り戻して以前のように緩い空気が戻りかけていた。ギュウギュウに詰め込まれてキャパオーバーを起こしていた囚人たちの数は許容人数の範囲内にまで減らされ、強制労働もデブ署長の失墜を皮切りに行われなくなり。労役――それもちゃんと報酬がもらえるやつだ――に志願した者以外は朝昼晩の点呼にさえきっちり応じていれば日がな一日のんびり自由に過ごせる実にぬるい刑務所、というかつての姿を取り戻しつつある。
だが、完全に元の雰囲気に戻りきったわけじゃねぇ、というのは看守にとっても俺たち囚人サイドにとっても共通の認識だろう。緩んだように見せかけた空気の中に、張り詰めきった一本の緊張の糸が伸びていて。それは何かの弾み、ちょっとした刺激で不意に切れて弾け飛び、その周囲にいた奴を巻き込んで怪我をさせるんじゃないかと。そんな恐れを抱いている人間が、今のこのムショの中に少なからず存在している。
その原因なんてのは説明されなくても火を見るよりも明らかで。所長が失脚したのも、この刑務所が地獄からあるべき姿へと還ることになったのも、全ては一つの――或いは、二つの――事件に端を発していた。