現在未完。雪原ENDからマジソンに時間遡行したジャンさんの話。

逆行ジャンさんの一人旅 - 4/8

29,002文字 / 約33分
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予め色んなことが分かってるってのは便利なもんで、俺は早々にルキーノに頼んでシモン爺さんを一般房の方に移してもらい、その際にはブツの調達を言づけてもらった。調達してもらったところでそれらのブツの出番がやってくることは恐らくないのだが、何かしら準備をしている姿を見せておかなくては幹部連中に不信感を抱かれかねない。それに、前回の動きを完全にトレースできるわけもない以上数ヶ月前の自分の行動を逐一覚えている人間はそういないだろう状況に歪みが生じた結果、死体搬出の日程がずれてしまうといったような可能性もあるかもしれない。不測の事態に備えた準備は、やはりしておいた方がいいに違いなかった。
とはいえ、バクシーの一味が八番房の抜け穴を利用するつもりでいるのであれば、CR:5の幹部たちに安易にそこを使わせるわけにはいかない。連中がうっかりかち合っちまった際には一体どんな事態になることやら。バクシーたちは武装していたし人数も十人近くはいたことを考えれば、戦力面ではCR:5よりも圧倒的に有利に思えるが。ジュリオのあのデタラメな強さを知ってしまった身としては、最終的には血の海の中にジュリオ独りが立ち尽くしている、そんな光景が頭に浮かんで消えなかった。
もしも幹部連中に八番房を使わせるのであれば、それはバクシーたちが動き始めるよりもずっと早いタイミングで、ということになるが。その場合は俺も連中に付き合って一緒に脱獄しなくてはならないだろう。

(それは、駄目だ)

まず、幹部たちと一緒に脱獄してしまったら、その後脱獄してくる予定のバクシーと合流する方法が思いつかない。あの時、バクシーたちは脱獄直後にシカゴマフィアどもの襲撃を受けていた。たまたま銃撃を免れた俺が連中の注意を惹いたおかげでバクシーは瀕死の重傷を負いながらも助かったのだ。野郎が自分で帳簿を持っていなかったことも幸いしていた。俺が一緒に行かなければ、恐らくバクシーは自ら帳簿を身に着けたまま襲撃を受けることになるんだろう。帳簿を奪われれば、その場で止めの銃弾を撃ち込まれるのは確実だ。あいつを生かすことが共に生きることだけが俺の望みだっていうのに、それじゃあこうして過去に戻ってきた意味が無くなっちまう。
それに、今回の件の黒幕はボンドーネを中心とする一部の役員だったのだ。幹部四人は脱獄後に勝手に脱獄したと難癖をつけられて軟禁状態にあったらしいが、それは連中が曲がりなりにも幹部の地位にいたからこその処遇だったはずだ。正式な幹部として認められていない俺は口封じも兼ねて早々に処分されちまう可能性だってあるだろう。ボス・アレッサンドロが俺を二代目にしようと本気で考えているのであればなおのこと。CR:5を自分たちの思い通りに動かしたいクソッタレどもにとっては俺は生かしておいては面倒な存在だろう。幹部連中と一緒に脱獄して、のこのこと黒幕の目の前に現れた俺の身の安全を保証してくれるものなんて無いに等しい。
かつての俺はバクシーに捕まったことを自分の運が尽きたせいだと考えていたが。色んなことが分かっちまった今となっては、あれは最低よりはちょっとマシ、という状況だったんじゃないかと思えている。その後に色々とあった結果バクシーとは、何というかその、恋人同士、になったわけだし。無論、結果がどうであれ、あのレイプが最低最悪だったことに変わりはないんだが。それでも、脱獄に成功してこれで二代目ボスだと浮かれているところを、チンピラは用済みだとばかりに殺されちまうよりは、命があっただけ良かったと思うべきなんだろう。
もしも八番房を利用するとなったら、俺自身はここに残らなくてはならない尤もらしい言い訳を捻り出して連中を先に脱獄させるしかない。だが、あいつらを納得させられるだけの言い訳なんてそうそう思いつきそうにない。その上、バクシーたちとかち合わないようにするのだってそもそもが無理筋な話だ。だから後は、死体搬出の日程がずれることのないように祈るしかないんだろう。

結局は神頼みかよ、ファンクーロ!)

幸運に見放されたと思った時から神に祈ることは止めたつもりだったってのに、クソッタレが。
毒づきながら、俺はその辺にあった掃除道具を手に取って。これを片付けに行くのを口実に、独房棟の方へと向かうことにした。あの状態のバクシーが刑務作業に従事しているとは思えない。それはつまり、作業場よりも独房棟の中をうろついている可能性の方が高いということだ。見かけたところで何ができるわけでもないそれは例え奴がリンチに遭っていたとしても、だのは承知の上だが。それでも、生きて動いているあいつの姿を見ることができるだけでも、今の俺には充分だった。

◇ ◇ ◇

定員オーバーで囚人たちがぎっちり詰め込まれた独房が並んでいる通廊を、ゆっくりと歩いていく。バクシーの房がどこなのかは残念ながら分かっていないので、一つ一つの房の中を横目でチラチラと窺いながら前を通り過ぎた。結局房の中にはあの目立つ電柱男の姿を見出すことはできないまま、掃除道具を返却した俺は、失望感を抱きながら自分の房に戻るために踵を返したのだが。錆だらけのロッカーが並ぶ一角で蠢く何かの影に吸い寄せられるように視線を奪われて立ち止まった。

ひ、ひへへへ

歪な形にへこんだ空き缶を大事そうに持って、床の上を這いずり回っているみすぼらしい男がそこにいた。見間違えるはずもないバクシーの姿に、俺は嬉しさと一抹の悲しさ演技だと分かっていてもなお、あまりにも惨めな姿だったせいだを込めたため息を零し。それから、野郎のいる方へと歩き出す。
床に這いつくばっているバクシーに近づくにつれて、強烈なアンモニア臭が嗅覚を突き刺すのが分かって、俺は眉をしかめた。昨日、ゴンザレスの野郎に痛めつけられていた時にバクシーが小便を漏らすのを俺もこの目で見ていたが、あれだけでここまで強烈な臭いになるものだろうか。

「う。う、うえ? だ、だーれぇ

近づく俺にようやく気づきました、という態で実際はとうの昔に気づいていただろうに、だ立ち上がったバクシーは、下半身のみならず上半身否、それどころか髪の毛からも小便の臭いを漂わせているようだった。その事に気づいた瞬間、俺はまたしても怒りで目の前が真っ赤になるような心地がして、眩暈を覚えた。バクシーが自分で漏らした小便が髪の毛にまで掛かったと考えるよりは、誰かがバクシーに小便を引っ掛けたのだと考えた方がよっぽど自然だし、恐らくその考えは間違っていない。
実際のところ、バクシー本人にとってはその程度、目的達成のためには瑣末事でしかないんだろう。痛みを伴うわけでもなく、ただちょっと臭いのを我慢すればそれでいい、程度の認識かもしれない。もしもその相手がゴンザレス一味の人間であれば、後でお返しをする楽しみが増えた、ぐらいに考えている可能性だってある。

「へ、へへいっぱい、とれた、じぇえ」

悔しさに顔を歪めた俺の表情を、きっと自分自身に向けられる嫌悪のそれと受け止めたに違いないバクシーは、俺に向けてニタリ、不気味な笑みを浮かべ。手に摘まんだ虫をでっぷりと太った醜悪な赤黒いゴキブリを、見せつけてきた。どうやら野郎が手に持っているベコベコの缶にはそいつらが入っているようだった。そういえば前回も同じようなことがあったような気がするな、と俺は漸う思い出す。俺自身は特別虫が苦手ってわけじゃないが、それでもやっぱり気分のいいもんじゃない。

「う、うわ!? バカ、こっち来んな!!」

思わず、いつもの俺の隣にいてくれたバクシーが、おふざけをやらかした時みたいに、ちょっと強めの叱責が俺の口から飛び出した。厚顔なバクシーにそんな風に凄んでみせたところで、ニヤニヤしながらもっと調子に乗ってくることの方が多かったが。

「ひっ、いいいひ、ひへ

逆に俺の方が驚いてしまうぐらいの情けない悲鳴を上げてバクシーは後ずさり。ただでさえ丸まっていた猫背を怯えるように縮めて床にうずくまった。

「う、うひしい、ましぇん、うえ

床に額を擦りつけるようにしながら、バクシーは哀れな声で謝罪らしき言葉を口にする。頭を守るように抱え込んだ姿勢のせいで緩んだ襟元からは、首の左後ろに彫られたDGのスミが覗いていた。こういうポーズを取ってみせるってことはきっと、こんな風に行き合った相手に当たり前のように蹴られるのが、今のバクシーにとっての日常なんだろう。ダメージを最小限に抑えるために急所だけはきっちり守るようにして、だけど自分からは何一つ反撃することはない。本来のバクシーの在り方とは正反対のその姿は、確かに敵を油断させるためにはこの上なく効果的に違いなかった。

(それでも。いくらこいつが頑丈で、身を護る術に長けていたとしても。完全に無傷ってわけには、いかねぇんだ

怒ってるわけじゃねぇから殴ったりも、しねぇよ

頑張れよ、とか、怪我すんなよ、とか。言えた立場じゃねぇし言ったところでケツを拭く紙よりも役に立たねぇ。何をしてやることもできない自分の無力さに失望感を抱きながら呟くようにそう言って、俺はバクシーに背中を向けて歩き出す。だけどどうしても気になっちまって、通路の交差する場所で足を止めた俺は後ろを振り返り、未練がましく野郎の姿を確認した。

「ボサッとしてんな! この玉なしがよぉ!」

まださっきと同じ場所にいたバクシーは、いつの間にやら看守と囚人に取り囲まれていて。連中から代わる代わる踏みつけられ、蹴り飛ばされていたが。

!! あの野郎、は

もう随分と遠い記憶になっちまったが、このムショからバクシーに無理矢理連れ出されたあの時。バクシーのことを〝ボス〟と呼んで、常にあいつの隣に付き従っていた腹心みたいな男がいたことを思い出す。今バクシーを蹴り飛ばしているのは、間違いなくその男だった。きっと他の連中と一緒にリンチするフリをしながら、バクシーが致命的な怪我をすることのないようにさり気なく守る役目を担っているんだろうそいつの存在に、俺は。
俺は、安堵しながらも、同時にどうしようもないほどに嫉妬している自分に気づいて、眩暈がした。

どうして、俺じゃないんだろう)

あいつの隣にいるのが、あいつを守ってやるのが、どうして。